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11月, 2023の投稿を表示しています

13-4-2-1. 対立抗争の人類史の中で、生き残っている仏教の歴史と現状

対立抗争の嵐の中にあっても、ブッダが自覚した真実の自己のありようは、生き残っています。そのような仏教の歴史と現状を概観してみます。 ①ブッダ(覚者)の教え、つまり仏教は、紀元前7世紀頃、現在のネパールにあったシャカ国の皇太子が、出家修行し、真実の自己のありよう(法)をはっきり自覚したこと(悟り)から始まりました。その後、シャカ国は北インドの大国に攻め滅ぼされ、シャカ族は消滅してしまいました(ユダヤ民族とは違い)。                     ②仏教は、インドのカースト社会各層に広まりました。紀元前3世紀頃インド亜大陸をほぼ統一したアショカ王は、仏教に帰依し仏教を保護しました。アショカ王 の治世下のマウリア朝は、世界初の大規模な仏教国となり、無料の病院が建設され無料の教育が施されたほか、平等・人権が促進され、 仏教はインド亜大陸全体に広まっていきました。 紀元前2世紀頃には、仏教は南インドやスリランカに広まりました。西暦1世紀頃には、海のシルクロードを利用する商人たち経由で東南アジアに広まりました。ヒマラヤ山脈を越えて、チベットに広まり、中央・北方アジアに広まり、シナ大陸に広まり、日本に6世紀頃伝わりました。 ③しかしインドでは、後のグプタ朝(西暦4〜6世紀)とパーラ朝(8〜12世紀)の時代に、仏教は衰退していきました。イスラーム勢力がインド亜大陸を征服していくに ともない、多くの僧侶がネパールやチベットに逃れました。インド仏教最後の砦となっていた僧院が、1203年にイスラム軍によって破壊された象徴的な事件がありました。僧侶は国外に逃れ、信者はヒンドゥー教やイスラム教に吸収されました。そして、13世紀、インドにおいて仏教はほぼ消滅しました。仏教が広まっていたインドネシア、マレーシア、ブルネイ、フィリピンもイスラム化されていきました。 ここでドーンと現代に飛んで、仏教徒が多い国の現状をまとめてみましょう。 ④中国仏教徒数約2億人:文化大革命で、極端な弾圧と破壊が行われました。宗教は阿片だとする中国共産党の強い統制下にあります。かつて唐代には、ブッダが自覚した真実の自己のありようが、シナでも修行者たちによって自覚されるようになりましたが、今やそのブッダの自覚を継ぐ者はシナでは絶えてしまいました。 ⑤チベット約6百万人:中共軍に侵略され、多数の寺院が破壊され、多

13-4-1. 西洋諸国が世界中に残した黒い歴史 

キリスト教が世界中に広がり、世界中でもっとも 多くの人々がキリスト教を信仰しています。しかし一方 、西洋諸国による大量殺戮の歴史が、世界中にどす黒く残されています。 ①西洋諸国は、ローマ教皇と二二人三脚で世界侵略を強引に推し進め、中南米では、宣教師が先導役となり、 原住民を大量殺戮し 全土を奪取し インカ文明とアステカ文明を滅ぼしました。北米では、インディアンを大量殺戮し全土を奪取しました。オーストラリアでは全土を奪取した後、原住民のアボリジニーたちをあたかもハンティングを楽しむように 大量殺戮した という記録が残っています。 ②強欲な西洋諸国は、お互いに争って支配地域を広げ富の強奪を強化し、長年にわたり巨万の富を蓄え続け、それらがルネッサンス・産業革命・国民国家形成・民主化の原資となりました。西洋諸国の国力は益々増大し、 アジア・アフリカなど地表の85%を植民地支配するに至り、白人種優位の人種差別主義が地表を支配するようになりました。 ③西洋諸国による侵略の脅威に直面した日本は、アジアで唯一例外的に短期間で近代化を実現し、ロシアの侵略を撃退することができました。第一次世界大戦後の戦勝国会議において、アジア唯一の参加国である日本は、米国の黒人差別撤廃運動とも連携し、人種差別撤廃条約を提案し多数派となりましたが、全会一致を強行に主張する米英により否決されました。その条約が批准され世界中の植民地を失うことを恐れた英国などが反対しました。 その後、米英の日本への圧力は強まり、日本は独立自衛・人種差別撤廃・アジアアフリカ植民地解放を掲げて、米英等と戦い 敗れました。しかし、第二次世界大戦後、アジアアフリカ独立の大潮流が起き、現在約200カ国の独立国が国連に加盟するまでに増えました(第一次大戦後の国際連盟加盟国数は42)。 ④西洋諸国は、あたかも非白人種を人間とみなさないかのごとく、 奴隷貿易をほしいままにし巨万の富を築きました 。アフリカで数千万人を捕獲し、アメリカへ強制移動させ、奴隷として動物の如く酷使しました。 世界中に植民地を持つ世界最強の大英帝国はその富によって築かれたものです。 日本へ来たイエズス会とポルトガル商人は、九州の大名から日本人の捕虜などを買い取り、奴隷として売っていました。ちなみにそれを禁止し、奴隷を買い戻し、バテレン追放令を出したのは、豊臣秀吉でした

13-3-2. 仏教の人間観:ブッダのことばから「こよなき幸せ」

  仏教徒は世界で約5億人でアジアに多くの仏教徒が見られます。その内、日本では8千万人強、人口の6割強が仏教徒となっています。紀元前4〜2世紀頃に編纂された最初期の仏教経典である『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫、中村元訳)は、単純ですなおな表現でブッダが人として歩むべき道を説いたものです。その中の「こよなき幸せ」という詩を紹介します。ブッダの人間観が感じられるでしょう。 ①わたしが聞いたところによると(如是我聞)、あるとき尊き師(ブッダ)は、孤独な人々に食を給する長者の園におられた。そのとき一人の神が園を照らして、師に礼して一方に立った。その神は師に詩を以て呼びかけた。                           「多くの神々と人間とは、幸福を望みながら、幸せを思うています。最上の幸福を説いてください。」 ブッダは詩を以て説かれた。: ・諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、ーーこれがこよなき幸せである。 ・適当な場所に住み、前世には功徳を積んでいて、みずからは正しい請願を起こしていること、ーーこれがこよなき幸せである。 ・父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、ーーこれがこよなき幸せである。 ・施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ること、非難を受けない行為、ーーこれがこよなき幸せである。 ・悪を厭い離れ、飲食を制し、徳行をゆるがせにしないこと、ーーこれがこよなき幸せである。 ・尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、ーーこれがこよなき幸せである。 ・耐え忍ぶこと、温良なこと、諸々の道の人に会うこと、時々理法についての論議をすること、ーーこれがこよなき幸せである。 ・修養と清らかな行いと聖なる真理を見ること、安らぎを証すること、ーーこれがこよなき幸せである。 ・世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れなく、安穏であること、ーーこれがこよなき幸せである。 ・これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。、ーーこれがかれらにとってこよなき幸せである。 ②もう一つご紹介しましょう。夜叉とブッダのQ&Aです。 Q:この世で人間の最上の富は何であるか?いかなる善行が安楽をもたらすのか?味の中で

13-3-1. キリスト教の人間観:『新約聖書』の言葉から

現在、世界最多であるキリスト教信徒は 約24億人 、世界総人口の約32%を占めると推定されています。悲しみや苦難にある人々が、慰めや救いを求めた 『新約聖書』の中から、キリスト教の人間観が感じられる特徴的な言葉をいくつかピックアップしてみようと思います。 ・「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう」。 ・「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたし(神)のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。 ・「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである」。 ・「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』これが一番大切ないましめである。 第二に『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』である。 ・「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである」「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ」。 ・「主(神)はわたし(羊)の牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏せさせ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」。 ・「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」。 ・聖書は、「すべて彼(神)を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主

13−2−2.仏教の世界観:世界は真実の自己の今の様子です。お茶を呑むと必ずお茶の味がします、なんと素晴らしいことではないでしょうか!  

  仏は、創造主でもなく、全知全能でもなく、信仰上の存在でもなく、考古学上も実在が確認された私たちと同じ普通の人間です。 自己の真相である素晴らしい 今の様子 を自覚した人を、後世の人たちが目覚めた人、覚者と呼び、仏と呼んだだけなのです。 ブッダは言います。「世界には造り手もなく、始まりも終わりもありません。世界は大きな空間のようなものではなく、人が今の様子を感じる時にある目の前の様子です。人の今の様子とともに、世界は絶え間なく千変万化します。世界や森羅万象を動かしているのは創造主の意思ではなく法則です。人は誰でも真実を知り実物を生きることができます(成仏)、人は本来真実に目覚めた人(仏)です。 一人一人の人は、誰も彼も例外なく宇宙で最も尊い唯一無二の素晴らしい存在です(天上天下唯我独尊)。一人の人が生まれた時、一つの宇宙が生まれ、その人が亡くなる時、その人の宇宙も一緒に消えるのです。」 ブッダはさらに言います、「自己の真相である素晴らしい 今の様子 とは、何でしょうか?どうしようと思わなくても、今、物の様子がある、今、音の様子がある、今、香りの様子がある、今、味の様子がある、今、風の様子がある。今今今今今、切れ目なく今の自己の様子を生活している人は誰でも真実に目覚めた人です(諸仏)。 言語化 (観念化) される前の今の自己の様子のほかに、世界には何もありません。あるのは、今この身体と世界が一体となって活動する、 言語化 (観念化) される前の この身心の素晴らしい今の様子があるだけです。 今、お茶を呑むと必ずお茶の味がします。なんと素晴らしいことではないでしょうか。 あなたの身心の今の様子が、全宇宙の今の様子です。あなたは、全宇宙で唯一無二で最も尊い存在なんです。あなたは真実に目覚めた人(仏)なのですよ」。 仏教哲理上の一つの概念によると、世界や森羅万象 シンラバンショウ は創造主によって創造されるのではなく、因(根本原因)と縁(補助因)が和合して生じるのです。例えば、畑に種を撒くと芽が出てきますが、種が因で、土や水や太陽や労働などが縁で、芽や作物が果報です。この因縁生起の法則に従って、造り手もなく始まりもなく終わりもなく、世界や森羅万象は因縁生起しているのです。 更に言えば、一人一人の因縁によって一人一人の世界が生起し、その一人一人の世界の中で一人一人が生きて

13-2-1. キリスト教の世界観 

キリスト教の神ヤハウェは、唯一絶対神であり、全知全能の創造主です。この世の始まりに、神は6日間で天地を創造しました。人間の男は神に似せて土から造られ、女は男の肋骨から造られました。全ての生き物は、人間の食物として神が与えました。「地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう」。(『旧約聖書;創世記』)  世界には始まりがあり、そして終りがあるとされています。最終戦争ハルマゲドンがあり、その後に最後の審判があると記されています。死者の霊も含め全ての人間が呼び出され、再臨したイエスの前に立たされ、永遠の天国か地獄かの最後の審判を受けます。ヤハウェやその一人子であるイエスを認めない者、殺人や同性愛や婚外性交をして悔い改めない者に救いはないとされているようです。(『旧約聖書;黙示録』)         土葬がキリスト教社会で多いのは、最後の審判の影響かと思われます。最後の審判の時に肉体がなければ出廷できず、永遠の地獄が待っているだけと信じられているようです。このことから、彼らにとっての極刑は火炙り刑でした。 新旧キリスト教徒間の宗教戦争で多くのプロテスタントが火炙り刑に処されました。また、異端裁判で多くの女性たちが魔女だと決めつけられ火炙り刑に処されました。13歳で神の啓示を受け、イギリスとの百年戦争で敵と戦いフランスを救った少女ジャンヌ・ダルクは、異端裁判にかけられ、 「男装をしたこと」「教会を経由せず直接神に応答しうると信じたこと」という理由で、19歳で 火炙り刑に処されました。 映画やテレビで見かけるゾンビは、最後の審判に呼ばれて、墓場から抜け出し歩いて行く姿のパロディーでしょうか。キリスト教徒たちが過去の奴隷貿易・植民地支配・大量虐殺を認め謝罪しない頑迷さは、最後の審判への恐怖からなのかもしれませんね。現実的に言えば、損害補償請求金額が天文学的になりかねないという恐怖の方が大きいでしょうが。 天動説の固執というのもありました。地動説を説いたコペルニクスやガリレオたちは聖書の記述に反するとして異端とされました。進化論も聖書の記述に反するとして異端とされました。現代でも米国の聖書遵守主義的な州では、進化論の教育は禁止され、博物館には数千年前の古生物と人類

13-1-2. 仏教の開祖と聖典   

仏教の開祖はブッダ(仏陀)で、覚者 カクシャ という意味です。釈迦 シャカ 王国出身の仏陀 ブッダ (覚者)ということから、 釈迦牟尼仏 シャカムニブツ とも呼ばれています。普通の人間であり、奇跡を起こしたことはありません。約2600年前、現ネパールにあった釈迦王国カピラ城のシッダルタ太子として生まれ育ちました(仏生カピラ)。 29歳の時、人間は何故苦しむのか、苦しみから解脱する道はないのかという問題意識から、家族と王城を捨て出家し、6年間激烈な苦行をしました。苦行は悟りの因にあらずとさとり、乳粥 チチガユ の供養 クヨウ を受けて、マガダ国(釈迦王国を滅ぼしたインド東北部の大国)の菩提樹下 ボダイジュゲ に坐し、明けの明星 ミョウジョウ の時、 真の自己のありように目覚めました! (成道マカダ)。その時の法悦を「大地有情 ウジョウ 同時成道 ジョウドウ !」(我れと大地とあらゆるものは同時に道を成就した!)と言い表しました。人々は、彼を覚者(覚った人、ブッダ)と呼ぶようになりました。 ブッダは、虚妄 コモウ の自我に執着する人間や神々には、この覚りを理解することはできないと思い、涅槃 ネハン (悟りを得て現世を離れること)に入ろうと考えました。それを知ったブラフマー(梵天 ボンテン )をはじめとする天上の神々が、説法を再三お願いすると、ブッダは、「わたしは、あなたの勧請 カンジョウ を受け入れ、甘露 カンロ の法雨 ホウウ を降らせよう!すべての人々よ、神々も鬼神たちも、すべての耳のあるものは、この法を聞くがよい!」と言いました。 ブッダは、ベナレス(ガンジス河畔にあるインド最大の聖地)で最初の説法を行い(説法ハラナ)、それから45年間、三衣 サンネ 一鉢 イッパツ (三枚の衣と一つの食器)だけを所有し、一日一食 イチジキ の乞食行 コツジキギョウ (鉢を持ち無言で食 ジキ の供養 クヨウ を受ける行)でいのちをつなぎ、真の自己のありように目覚める道を人々に説き、多くの人々を済度 サイド (迷妄の中にいる衆生を真の自己のありように目覚めさせること)し、夜は樹下で眠ったと言われています。或いは夜に神々が教えを聞きに来たとも言われています。 ブッダは、故郷カピラに向かう旅の途中のクシナガラで、供養された食物が原因で下血し路傍に倒