仏は、創造主でもなく、全知全能でもなく、信仰上の存在でもなく、考古学上も実在が確認された私たちと同じ普通の人間です。
自己の真相である素晴らしい今の様子を自覚した人を、後世の人たちが目覚めた人、覚者と呼び、仏と呼んだだけなのです。
ブッダは言います。「世界には造り手もなく、始まりも終わりもありません。世界は大きな空間のようなものではなく、人が今の様子を感じる時にある目の前の様子です。人の今の様子とともに、世界は絶え間なく千変万化します。世界や森羅万象を動かしているのは創造主の意思ではなく法則です。人は誰でも真実を知り実物を生きることができます(成仏)、人は本来真実に目覚めた人(仏)です。
一人一人の人は、誰も彼も例外なく宇宙で最も尊い唯一無二の素晴らしい存在です(天上天下唯我独尊)。一人の人が生まれた時、一つの宇宙が生まれ、その人が亡くなる時、その人の宇宙も一緒に消えるのです。」
ブッダはさらに言います、「自己の真相である素晴らしい今の様子とは、何でしょうか?どうしようと思わなくても、今、物の様子がある、今、音の様子がある、今、香りの様子がある、今、味の様子がある、今、風の様子がある。今今今今今、切れ目なく今の自己の様子を生活している人は誰でも真実に目覚めた人です(諸仏)。
言語化(観念化)される前の今の自己の様子のほかに、世界には何もありません。あるのは、今この身体と世界が一体となって活動する、言語化(観念化)される前のこの身心の素晴らしい今の様子があるだけです。今、お茶を呑むと必ずお茶の味がします。なんと素晴らしいことではないでしょうか。あなたの身心の今の様子が、全宇宙の今の様子です。あなたは、全宇宙で唯一無二で最も尊い存在なんです。あなたは真実に目覚めた人(仏)なのですよ」。
仏教哲理上の一つの概念によると、世界や森羅万象シンラバンショウは創造主によって創造されるのではなく、因(根本原因)と縁(補助因)が和合して生じるのです。例えば、畑に種を撒くと芽が出てきますが、種が因で、土や水や太陽や労働などが縁で、芽や作物が果報です。この因縁生起の法則に従って、造り手もなく始まりもなく終わりもなく、世界や森羅万象は因縁生起しているのです。
更に言えば、一人一人の因縁によって一人一人の世界が生起し、その一人一人の世界の中で一人一人が生きているのです、その一人の人が亡くなればその人の世界も一緒に消えます。
また、世界の生成について、成住壊空の四劫という仏教哲理上の一つの概念があります。すなわち、成劫ジョウコウ(世界が生成されていく時期 )、住劫(この世界が成立して有情が安住している時期)、壊劫エコウ(火・水・風の三災によって世界が破壊され空無に帰するまでの期間)、空劫(世界が破滅して、一切が空無の状態のまま続く期間で、これが終わるとまた成劫に入る)が、始まりもなく終わりもなく無限に繰り返されていくという世界観です。
仏教の世界観を図式化してみましょう。 自己=本来真実の自己の実物の今の様子で生活している人(仏) 世界・森羅万象=真実の自己の今の様子であるすべてのありよう(仏) 自己・森羅万象の生滅=法則による 〔唯一神・創造主・支配者・審判者・原罪・地獄=なし〕
あなたは、今、どんな世界に住んでいるのでしょうか?観念の世界でしょうか、それとも実物の世界でしょうか?今、目の前に物の様子が感じられる、今、音の様子が感じられる、今、お茶の味の様子が感じられる、後追いで言葉が出てくる(観念化される)前の実物の今の様子が感じられませんか。これが真の自己の実物の今の様子です。あなたがどんな状況にあろうとも、本来すべての人は真の自己の実物である一人一人の今の様子を生きているのです。お茶を呑むとお茶の味が感じられる素晴らしさ、これに気付きこの実物を生きる力は、誰に教えられなくても、一人一人に100%具わっているのです。 合掌
やまとこたろう
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