第一次世界大戦を簡潔に表現するならば、それは白人列強による植民地争奪戦の最終局面と言えるでしょう。この戦争に至るまでの国際情勢を詳しく見ていきましょう。
①産業革命と植民地拡大の競争
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ諸国は産業革命を背景に、地球規模での植民地獲得競争を繰り広げていました。イギリスやフランスは、早期に産業革命を達成し、広大な植民地帝国を築き上げていました。一方、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリアといった後発の国々は、植民地獲得に出遅れていました。
しかし、この時期にドイツは急速な工業化を遂げ、「世界の工場」と呼ばれるほどの経済力をつけるに至ります。経済力の増大は、当然ながら国際社会における影響力の拡大を求める声へとつながり、ドイツはより多くの植民地、ひいては勢力圏を求めるようになりました。
②アフリカ分割と列強同士の争い
列強が海外に目を向けた頃には、日本と中国を除いて、東アジアにおける植民地支配はほぼ完了していました。そこで、ヨーロッパ各国が次なる目標としたのがアフリカ大陸です。アフリカ分割競争は激化し、わずかな期間で大陸のほとんどが列強によって支配されてしまいました。
そして、アフリカ大陸にも「取り尽くす場所」がなくなると、今度は白人国家同士の醜い争いが表面化し始めます。これが、第一次世界大戦へとつながる直接的な引き金の一つとなります。
③三B政策と三国同盟・三国協商の形成
第一次世界大戦勃発の大きな要因となったのは、ドイツの推進した**3B政策(ベルリン、ビザンチウム、バグダッドを結ぶ鉄道建設構想)**です。この政策は、ドイツがオーストリア=ハンガリー帝国を経由して中東まで鉄道網を延伸しようとするものでした。
このドイツの動きに対し、ロシアは南下政策の妨げとなると危機感を抱きました。また、イギリスはスエズ運河の権益が脅かされること、さらに鉄道がインドに到達することでその支配が危うくなる可能性を懸念し、看過できませんでした。
こうして、利害が一致したイギリス、フランス、ロシアは三国協商を結び、ドイツに対抗する姿勢を明確にしました。これに対しドイツは、同じく植民地獲得に出遅れていたオーストリア=ハンガリー帝国、イタリアと三国同盟を結び、勢力均衡を図りました。
④サラエボ事件と大戦勃発
このような国際的な緊張関係が高まる中、1914年6月、ドイツの同盟国であるオーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナント皇太子夫妻が、セルビアの民族主義者によってサラエボで暗殺されるという大事件が起こります。この事件は、オーストリア=ハンガリー帝国民の激しい怒りを買い、ロシアがセルビアを支援していたこともあり、三国同盟と三国協商という二つの陣営が正面から衝突する結果となってしまいました。
オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告すると、次々と各国が参戦を表明し、瞬く間にヨーロッパ全体を巻き込む大規模な戦争へと発展していったのです。
続く
やまとこたろう
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