スキップしてメイン コンテンツに移動

13-4-2-1. 対立抗争の人類史の中で、生き残っている仏教の歴史と現状

対立抗争の嵐の中にあっても、ブッダが自覚した真実の自己のありようは、生き残っています。そのような仏教の歴史と現状を概観してみます。


①ブッダ(覚者)の教え、つまり仏教は、紀元前7世紀頃、現在のネパールにあったシャカ国の皇太子が、出家修行し、真実の自己のありよう(法)をはっきり自覚したこと(悟り)から始まりました。その後、シャカ国は北インドの大国に攻め滅ぼされ、シャカ族は消滅してしまいました(ユダヤ民族とは違い)。                    


②仏教は、インドのカースト社会各層に広まりました。紀元前3世紀頃インド亜大陸をほぼ統一したアショカ王は、仏教に帰依し仏教を保護しました。アショカ王の治世下のマウリア朝は、世界初の大規模な仏教国となり、無料の病院が建設され無料の教育が施されたほか、平等・人権が促進され、仏教はインド亜大陸全体に広まっていきました。

紀元前2世紀頃には、仏教は南インドやスリランカに広まりました。西暦1世紀頃には、海のシルクロードを利用する商人たち経由で東南アジアに広まりました。ヒマラヤ山脈を越えて、チベットに広まり、中央・北方アジアに広まり、シナ大陸に広まり、日本に6世紀頃伝わりました。


③しかしインドでは、後のグプタ朝(西暦4〜6世紀)とパーラ朝(8〜12世紀)の時代に、仏教は衰退していきました。イスラーム勢力がインド亜大陸を征服していくにともない、多くの僧侶がネパールやチベットに逃れました。インド仏教最後の砦となっていた僧院が、1203年にイスラム軍によって破壊された象徴的な事件がありました。僧侶は国外に逃れ、信者はヒンドゥー教やイスラム教に吸収されました。そして、13世紀、インドにおいて仏教はほぼ消滅しました。仏教が広まっていたインドネシア、マレーシア、ブルネイ、フィリピンもイスラム化されていきました。


ここでドーンと現代に飛んで、仏教徒が多い国の現状をまとめてみましょう。


④中国仏教徒数約2億人:文化大革命で、極端な弾圧と破壊が行われました。宗教は阿片だとする中国共産党の強い統制下にあります。かつて唐代には、ブッダが自覚した真実の自己のありようが、シナでも修行者たちによって自覚されるようになりましたが、今やそのブッダの自覚を継ぐ者はシナでは絶えてしまいました。


⑤チベット約6百万人:中共軍に侵略され、多数の寺院が破壊され、多数の僧侶が虐殺され、ダライ・ラマ法王を初めとするチベット政府と多くの僧侶はインドに亡命を余儀なくされました。現在もダライ・ラマは、世界的宗教指導者として世界中で活動を続けています。故国では、中共によりチベット民族・文化絶滅策が強行され続けています。


⑥インド:ガンジーは仏教徒ではありませんでしたが、仏教の造詣が深く、無抵抗主義で英国植民地支配と戦いインドを独立へと導きました。誕生したインド共和国の国旗の目の玉のような模様がありますが、これは仏教を保護したアショカ王の法輪を表しています。アショカ王統治時代がインド共和国の理想とされているようです。

最下層カースト出身の仏教徒がインド共和国初代法務大臣となり、憲法に平等・人権を取り入れました。一旦インドで消滅した仏教でしたが、徐々に広まり1億人になっているという情報もあります。最下層カーストの人々と生活をともにし、インド仏教復活に貢献している日本人僧侶もいるとの情報もあります。


次に続く・・・

                  やまとこたろう


ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。

   ↓          ↓

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村   

          PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

石破候補の裏切りの歴史がSNS上にあり国民の目に触れています。それを承知で投票されるのですか?

自民党議員に送りました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 靖国神社の参拝に否定的。大東亜戦争を侵略戦争と呼び、中国に謝罪せよと。 1.1981年、父の死後、 真っ先に葬儀に駆けつけてくれた 田中角栄氏の助言で政界を目指すも 田中派ではなく中曽根派からの立候補。 2.1993年 非自民の細川連立政権が成立。 自民党が野党に転落すると、 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に 「私はね、政権与党にいたいんです」 と捨て台詞をはき離党届。 3.小沢一郎を「真の改革者」と称賛して新進党結成に参加するも、小沢一郎が党首に選ばれると、自分の考える政党と違うと総選挙前に離党。 4.自民党に復党するも誰も相手にされず、伊吹文明が情けをかけて伊吹派に入れてあげるも、その後に入閣すると「閣僚が派閥に属するものはいかがなものか」の捨て台詞で伊吹派を離脱。 5.麻生政権の閣僚を務めていながら、支持率低迷で総選挙が近づくと総理官邸に乗り込み、謎の論理を展開して麻生おろしに加担。 6.民主党からの政権奪還を目指した自民党総裁選で安倍晋三と総理を争い、敗れて幹事長に在任期間中、地方選挙で連戦連敗し、自民党支持者を裏切る。 7.地方創世担当で実績を残せないどころか既得権益に配慮して加計学園問題で地方を見殺し。 地方を裏切る。 8.森友問題や加計学園問題などで テレビに連日出演して、安倍政権を背後から撃つ発言をしまくり、マスコミの安倍おろしに加担。                   やまとこたろう 高市さんはまだ3位だと藤川氏(選挙の神様、現在高市支援中)が警鐘。気を引き締めましょう。後2日で日本の運命が決まります。地元議員に高市さん支援を訴えてください。SNSを発信し続けてください。高市リーダーを支えて新しい日本をともに作っていきましょう。 #高市早苗 ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。   にほんブログ村

妻滝川クリスティ外国実業家との不倫疑惑や、小泉・滝川別居等の報道により、カリスマ小泉イメージが更に悪化

 滝川氏が58歳シンガポール実業家から自分の動物保護活動のために多額借入れがあり、不倫関係にあるとの報道が週刊誌やネットを賑わせています。 動物保護の観点から滝川氏はビーガン食を出し、肉好きの小泉議員はそれを好まず夜会食を取り議員宿舎に泊まる生活になり、不倫再開が懸念されています。 滝川氏は議員の将来性に不安を感じ、長男を英才教育し小泉5世に育てあげるつもりとの観測も流れています。 総裁選におけるお粗末過ぎる諸発言を国民が知り、熱烈な小泉ファンであった若い女性層やサラリーマン層がドン引きしました。それに加えたプライベート疑惑はカリスマ性瓦解に拍車をかけています。 「小泉を支援するのは誰だ」とネットの随所に。カリスマ小泉イメージに頼っていれば選挙に勝てると考えている議員の方々、国民をなめているとしっぺ返しを受けますよ。 高齢者も含め党員の多くがネットにアクセスし、党内の旧来型の権謀術数と権力闘争のかなりの部分を知り、左派大手メディアのフェイクを知っています。 政治力のなかった国民が初めて、偏向メディアと結託した既得権益権力に対抗する手段としてネットを手にし、国をよくしたいという国民の幅広い連帯感が生まれ始めています。 ある前議員が「党員は政策を考え、議員は自己保身しか考えていない」と 嘆いていました。 高市早苗 さんを推してます。やまとこたろう ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。   にほんブログ村

23−1.欧米列強による苛烈なアジア植民地支配

15世紀の大航海時代で世界に進出した西欧列強は、やがてアジア全域を植民地化した。彼ら白人帝国主義国はいかなる侵略行為を行ったのか? ① 掠奪と搾取 ・350 年にわたりインドネシアの香辛料など独占的に収奪したオランダは、19世紀に入ると、強制栽培制度を導入し、耕地の半分にわたって、コーヒー・砂糖・藍などのヨーロッパ市場向け作物を強制栽培させた。これによる巨額な収益は国家予算の3分の1を占めた。一方、農民は自らの食料であるコメを栽培することが困難になり、多くの餓死者が出た。 ・インドシナ半島東部を支配したフランスは、土地の没収令を出して、申告のない土地を収奪しフランス人らに無償で与えたため、農地を奪われた農民は小作人からさらに債務奴隷へと没落した。 ・イギリスは、インドの綿織物輸入で利益を上げていたが、産業革命で自国の綿織物工業が盛んになると、インドの綿製品には課税し、イギリスの綿製品には免税して逆輸入させてしまった。これによりインドの織物業は壊滅的打撃を受け、織物都市のダッカの人口は激減した。 また、茶の輸入により入超になったイギリスは、中国へ流出した多額の銀を取り戻すためにインド植民地にケシ栽培を強制し、大量のアヘンを中国に密輸して暴利を得た。財政悪化を招いた清はアヘンの密輸を取り締まったが、イギリスはこれを口実に戦争を仕掛け、香港を租借した。これが悪名高いアヘン戦争である。これが切っ掛けとなり中国大陸は列強による半植民地状態へと転がり落ちていった。 ②貧困と飢餓 ・当初列強は、アジアの都市・沿岸地方における貿易で利潤を得るのが目的であったが、18世紀後半の産業革命を迎えると、原料の供給地と製品の市場として広範囲な植民地を必要とし直接支配するようになった。 ・土地の集約的耕作と輸出用換金作物の大規模栽培は、白人の資本投下によるプランティションで行われた。それは無料に近い土地で低廉な労働力を使い、莫大な収益をあげるものであった。そして、マレーのゴム、インドの綿花というように、特定の一次商品を宗主国に輸出し、完成消費財を輸入するという経済構造に変質したため、従来の自給型農業が決定的な変化を被った。 ・その結果、水田の減少や失業者の増加により、飢饉に際して多くの犠牲者を出す地域が現れた。ジャワでは人口33万の町が12万に減少したり、インドではイギリスの支配ののち飢饉が増...