◯フィリピン植民地支配とマッカーサー一家: 米西戦争によってアメリカは価値の高いものを手にしました。それはフィリピンの植民地支配です。1898年、アメリカ海軍はマニラ湾のスペイン艦隊を一夜にして全滅させ世界を驚かせました。 アメリカは陸上に拠点を持たなかったので、フィリピン独立派を利用することを考え、海外に亡命していた独立運動の指導者を呼び戻し、「独立」を餌に陸上戦に従軍させました。 しかし、アメリカに協力して戦ったフィリピンの独立派は、戦後アメリカに見事に裏切られ、フィリピンの独立は認められず、アメリカの植民地とされました。 アメリカの植民地支配に反抗する数十万人のフィリピン人を、アメリカ軍は虐殺し独立運動の息の根を止めました(米比戦争1899年〜1913年)。 その米比戦争の司令官がアーサー・マッカーサーでした。彼は事実上のフィリピン総督となり、マッカーサー一家がフィリピンに多くの権益と資産を獲得することになりました。その次男が、後に太平洋戦争後、敗戦国日本を軍事占領した連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーでした。 ◯中国権益をめぐっての日米対立が太平洋戦争へと繋がる: さらにアメリカは中国利権獲得の野心を露わにし、「門戸開放」「機会均等」「領土保全」の三原則を掲げ、中国割譲の分け前を 列強諸国に要求しま した。 アメリカが最初に清国に手を出したのは、1900年に起きた義和団事件鎮圧で、連合国の一員として出兵したのが最初でした。アメリカは日露戦争において日本が善戦したのを見て、ルーズベルト大統領はその調停役を買って出ました。 日本は日清戦争に完勝し、三国干渉はありましたが朝鮮を保護国とし後に併合しました。日本が日清戦争を起こしたのはロシアの南下策に対抗するものでしたが、朝鮮併合後もロシアの圧迫は強まり、ついに1905年ロシアと戦端を開き、満州を主戦場とする日露戦争が開始されました。世界一の陸軍国ロシアへの挑戦は無謀とも思われましたが、日本陸軍は善戦し、一方海軍はロシア極東艦隊を撃滅し、極東に遠征してきたバルチック艦隊を日本海において全滅させました。このため、ロシア側からも講和の気運が出て、前出のようなアメリカの仲介もあり停戦講和となりました。 この戦争により日本は、満州に大きな権益を獲得しましたが、そこは以前からアメリカが狙いを付けていた地域でもありました