今回は日露戦争後の世界情勢ということで、アメリカと中華民国を中心に、ざっくりみていこうと思います。 ①まずは、アメリカです。日本が日露戦争で勝利し、南満州鉄道株式会社を設立すると、アメリカの鉄道王ハリマンは、日本に対して共同経営を持ちかけてきます。これに対し、伊藤博文や桂太郎といった人たちが賛成し、トントン拍子に話が進み、仮契約というところまではすんなりと進んでいくことになります。 では、なぜ伊藤たちはアメリカとの共同経営に賛成したのでしょうか。もちろん、ポーツマス条約を仲介してもらったお礼というのもあるでしょう。しかしそれ以上に大きかったのは、日本は日露戦争でお金をほとんど使い切っていて財政破綻一歩手前の状態だったのです。鉄道を敷くためには莫大なお金がかかりますから、アメリカから資金を出してもらえるというのは、非常にいい話だったのです。 さらに、アメリカには広大な土地に効率よく鉄道を敷くノウハウがあります。 また、満州の北には、ロシア軍が控えていて脅威が完全に消え去ったわけではなかったのです。こういうこともあって、日本はアメリカとの共同経営にメリットが大きいと考えたわけです。 ②ところが、ポーツマス条約を結んで日本に帰国した小村寿太郎がこれを聞いて大激怒します。日露戦争で10万人近い犠牲者を出してようやく手に入れた満州の権益をアメリカと共有なんてバカな話があるかというわけですね。まあ小村の気持ちも分からないのではないのですけれど、ま、ここは冷静に対処して状況をしっかりと見て欲しかったところではありますよね。 結局、日本政府は小村に押される形でしぶしぶ仮契約を取り消すことになります。 ③こうなると当然アメリカは怒りますよね。話し合いの段階ではトントン拍子に話が進み、仮契約までしたのに、それを電報一本でなかったことにされたわけですから当然です。ただでさえアメリカは、日露戦争で勝った日本に対して脅威を覚え始めていたところにこの仕打ちですからね。 アメリカは、もしかして日本は太平洋を越えてアメリカに攻め込む気ではないかと疑い始め、太平洋艦隊を作り始めます。この時に大西洋艦隊の一部を太平洋に移すのではなくて、大規模艦隊を両側に展開するって、アメリカのチートぶりがよく分かりますよね。 ④次に清国です。日露戦争で日本が勝ったことにより、満州は清国の手に戻ってきました。普通なら日...
日本の勝利への世界の反応などをまとめてみます。 ①インド初代首相ネルー: 「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩きつぶされると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかなわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、日本が勝ったのだ。 私は、自分たちだって決意と努力次第ではやれないはずはないと思うようになった。そのことが、今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは、日本なのだ。」 ②中華民国建国孫文: 「日露戦争はアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。この勝利は全アジアに影響を及ぼし、全アジア人は非常に歓喜し、きわめて大きな希望を抱くにいたり、大国の圧政に苦しむ諸民族に民族独立の覚醒を与え、ナショナリズムを急速に高めた。」 ③英国領ビルマの初代植民地首相バ・モウ: 「最初のアジアの目覚めは、日本のロシアに対する勝利に始まり、この勝利がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。 それは全ての虐げられた民衆に、新しい夢を与える歴史的な夜明けだった。 ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。 日本の勝利はわれわれに新しい誇りを与えてくれた。歴史的に見れば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の州発点と呼べるものであった。」 ④トルコ皇帝: 「われわれは、日本人の成功を衷心から喜ばなくてはならない。 ロシア人に対する日本人の勝利は、すなわちわれわれ有色人種の勝利である。 国家の命運は国民の自覚と愛国心で決するものであり、トルコの未来も日本を見習い近代化を進めるならば、決して悲観すべきではない。」 ④ロンドンタイムズ(新聞記事): 「日本海軍の目標は、単にロシア艦隊を打ち負かすことだけではなかった。これを撃滅することだった。そして、決意したことを成し遂げたのだ。 その理由は、軍艦にも砲にも、乗組員の熟練度にも、戦術の巧拙にも求められない。 精神的性格や高遠な理想、やむにやまれぬ熱情や、あまねく浸透した責任感と愛国心などに求められるべきだ。対馬海峡の勝利は、武士道によってもたらされたものである。」 ⑤アフリカ系米国人W.E.B.デュボイス: 「有色人種が先天...