🌍 世界を変えた勝利:アジア・アフリカへの希望 日露戦争の勝利は、単に日本がロシアによる植民地化を免れたというだけに留まらず、世界の歴史の流れを大きく変える 記念碑的な出来事 となりました。 1. 有色人種国家による白人国家への「最初の勝利」 「白人優位」の常識の打破 : 当時、有色人種は白人よりも劣っており、「白人国家には勝てない」という 人種的な偏見 と 常識 が世界を支配していました。アジア・アフリカの多くの国が欧米列強の植民地とされ、発言権を失っていました。 希望の光 : 日本がロシアというヨーロッパの大国に勝利したことは、この「白人優位」の常識を打ち破り、 アジア・アフリカの非白人諸国 に「 やれば勝てるかもしれない 」という 独立と解放への大きな希望 を与えました。 2. アジア・アフリカ諸国に与えた影響(歴史的事実の追加) 日露戦争の勝利は、各国で以下の動きを誘発しました。 国・地域 独立運動・革命 影響 インド 反英運動(カルカッタ大会など) 「アジアもヨーロッパを打ち破れる」という確信を与え、イギリスからの独立を目指す運動が激化。 ベトナム 東遊(ドンズー)運動 フランスの植民地支配下で、「日本に学んで近代化し、独立を達成しよう」という運動が発生。 中国 辛亥革命 のきっかけ 孫文 は「これはアジア人のヨーロッパ人に対する最初の勝利だ」と語り、日本で革命組織(中国同盟会)を結成。のちの辛亥革命につながる。 オスマン帝国(トルコ) 青年トルコ革命 「立憲制こそが専制政治に勝つ鍵だ」として、憲法の復活と専制政治の打破を目指す革命が起こった。 イラン 立憲革命 日本の勝利は近代化(立憲君主制)の勝利と解釈され、専制政治からの脱却を目指す憲法制定革命が発生。 ポーランド・フィンランド 独立運動の機運上昇 ロシアの支配下にあった両国では、「日本がロシアに勝った」ことを機に、独立への希望が大きく高まった。 3. 日本の国際的地位の向上と不平等条約の解消 列強の一員として認定 : 日本は、欧米列強と肩を並べる**世界の強国(列強)**の一員として認められるようになりました。 不平等条約の撤廃加速 : 幕末以来、日本を苦しめてきた欧米列強との 不平等条約 の改正・撤廃が、この勝利によって大きく前進し、国際的な主権を回復しました。 国際連盟常任理事国 ...
🤝 戦争を終わらせる準備 戦争を終わらせるタイミングと方法についても、当時の日本は周到な準備をしました。 1. 伊藤博文の和平への準備 日本の国力は限界だった : 連戦連勝とはいえ、日本の国力は限界に達しており、これ以上戦争を続けることは不可能でした。一方、広大なロシアはまだ継戦能力を残していました。 金子堅太郎を通じた米国への仲介依頼 : 伊藤博文 は、開戦前から、アメリカの セオドア・ルーズベルト大統領 と親友であった 金子堅太郎 を通じて、戦争終結時の 講和仲介 を依頼していました。これは、日本が「どうやって勝つか」だけでなく、「 どうやって戦争を終わらせるか 」まで計画していたことを示しています。 2. 賠償金なき講和と国内の不満 米国仲介によるポーツマス条約 : ルーズベルト大統領の仲介により、 ポーツマス条約 が締結され、日露戦争は終結しました。 勝利の実益 : 日本は、大韓帝国に対する優越権、遼東半島南部の租借権、南満州鉄道の利権、樺太(からふと)の南半分を獲得しました。 賠償金ゼロ : 日本の国力ではロシア本土を攻め落とすことはできず、ロシア側も徹底抗戦の構えを見せたため、条約では 賠償金 を得ることができませんでした。このため、国民の間では「多くの犠牲を払ったのに賠償金がないのはおかしい」という不満が爆発し、 日比谷焼打事件 などの暴動が発生しました。しかし、戦争継続による 国力破綻 という最悪の事態を避けたことは、指導層の 賢明な判断 であったと言えます。 やまとこたろう ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村