④国民の質と国家の質
日露戦争が終わり平和な時代になると、こうした教育の成果として、政治や文化などについて自分の頭で考え、意見を表明できる国民が格段に増えていました。つまり、国民の「質」が向上していたのです。
国民の質は、そのまま国家の質に直結します。もし国民が十分な知識や教養を持たなければ、国民の意見を政治に反映させようとする民主主義は、そもそも根本から成り立ちません。仮に無理に導入したとしても、無知な国民が選んだ無能な政治家が国を動かせば、国は悪い方向へ進んでしまうのは目に見えています。
当時の日本国民は、そうならないだけの知的水準に既に達しており、これはまさに誇るべきことです。つまり、この時期に普通選挙ができるレベルにまで国民の質が向上していたのは、明治政府が長年力を入れてきた教育政策が、およそ50年の時を経てようやく実を結んだ証拠なのです。教育とは「国家百年の計」と言われるように、すぐに結果が出るものではありません。しかし、その長期的な視点こそが、日本の民主化を可能にしたのです。
⑤ 戦後の教育政策が抱える課題
こうした歴史を踏まえると、戦後の日本の教育政策が抱える問題点も見えてきます。目先の学力向上だけにとらわれ、ころころと政策を変えているようでは、真に国家の未来を担う人材は育ちません。
明治政府のように、50年後、100年後の日本人のあるべき姿を明確にイメージし、そのイメージを実現するための教育政策を打ち出し続けることが不可欠です。「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」の導入に際しても、現場の先生方の並々ならぬ努力があったにもかかわらず、試行錯誤の末にようやく成果が出始めた頃には、「学力が低下した」という短絡的な理由で政策が撤回される、といったことが繰り返されてきました。
このようなブレのある教育政策は、現場の先生方の士気を低下させ、ひいては教育全体の質の低下を招きます。さらに、当時「ゆとり世代」と呼ばれた児童・生徒たちは、自分たちの意志とは関係なくそのような教育を受けたにもかかわらず、その後の世代から「これだからゆとり世代は」と揶揄されるという不条理も生じました。
私たちは、過去の成功と失敗から学び、未来を見据えた地に足のついた教育政策を推進していく必要があります。日本の未来を拓くのは、確かな知識と教養、そして主体的に考える力を持った国民を育てることに他なりません。
やまとこたろう
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