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大東亜の残照 —— 白人列強による植民地支配を終わらせた日本の「正義」57-1


1941年12月8日。ハワイ・真珠湾への攻撃により、日本は未曾有の動乱へと突き進みました。戦後、私たちはこの戦いを「太平洋戦争」という、戦勝国アメリカが名付けた呼称で教えられ、「日本は狂信的な軍国主義によって世界を侵略しようとした悪の帝国だった」という一方的な歴史観を植えつけられてきました。戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が実施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」によって、日本人の誇りは徹底的に解体されました。しかし、歴史の断片を丁寧につなぎ合わせていくと、教科書には決して書かれない、もう一つの真実が浮かび上がってきます。

それは、当時の日本が「自存自衛」のために、そして数百年続く白人列強による苛烈な植民地支配からアジアを解放するために、全てをなげうって戦いに挑んだという側面です。本稿では、当時のアジア諸国の生の声を紐解き、日本が歴史に刻んだ「正の側面」を明らかにしていきます。日本の戦いは、真珠湾から始まったのではありません。その伏線は、第一次世界大戦後の1919年、パリ講和会議にまで遡ります。


第1章:人種差別との戦い —— パリ講和会議の挫折と日本の決意

1. 世界初の挑戦:人種差別撤廃案

当時、世界を支配していたのは「白人至上主義」でした。有色人種は劣等民族と見なされ、基本的人権すら認められない時代です。その中で、日本は世界で初めて「人種差別撤廃案」を国際会議の場で提案しました。これは、当時の世界情勢から見れば、極めて革命的で道義的な主張でした。

この案に対し、採決ではフランス、イタリア、ギリシャ、ブラジルなど16カ国中11カ国が賛成の意を表しました。一方で、強硬に反対したのは、広大な植民地利権を手放したくないイギリスとその自治領(オーストラリアなど)、そして自由と民主主義を標榜しながらも国内に根深い人種問題を抱えていたアメリカでした。


2. ウィルソン大統領の「不当な却下」とアメリカの欺瞞

結果はどうだったでしょうか。この提案は過半数の賛成を得ていたにもかかわらず、議長を務めたアメリカのウィルソン大統領が、突如として「重要案件につき全会一致が必要である」という前代未聞のルールを持ち出し、否決したのです。

ウィルソンが反対に回った背景には、当時のアメリカ国内の凄惨な人種隔離政策がありました。南部を中心に黒人は投票権を奪われ、公共施設は分離され、リンチが公然と行われていた時代です。「民族自決」を唱えて英雄視されていたウィルソン自身、実は人種隔離を支持する差別主義者という側面を持っていました。日本案を認めれば、自国の黒人差別や、カリフォルニア州などで吹き荒れていた排日移民法の正当性が揺らぐことを、彼は何よりも恐れたのです。


                       やまとこたろう


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