「自虐史観」の歴史教育を受けてきた私たちは、「日本は日英同盟を口実に
火事場泥棒のように第一次世界大戦に参戦し、アジアでの利権を拡大した」と考えているかもしれません。しかし、本当にそうだったのでしょうか?今回は、第一次世界大戦における日本の関わり、特に「21カ条の要求」の真実に迫り、私たちが抱く誤解を解いていきたいと思います。
イギリスの要請に応じた日本の参戦
第一次世界大戦が始まると、イギリスは同盟国である日本に対し、ドイツ東洋艦隊の撃破を要請してきました。しかし、日本を警戒していたアメリカの反対によって、この要請は二度も取り下げられてしまいます。最終的に、アメリカが参戦地域を限定するという条件で日本の参戦を許可し、日本はイギリスの要請通り、ドイツ東洋艦隊を撃破しました。
さらに、日本は艦隊を遠く地中海にまで派遣し、イギリスやフランスの輸送船団をドイツのUボートの脅威から守るという重要な役割を果たしました。この貢献に対し、イギリス海軍は日本海軍に「ありがとう」と刻まれた感謝状を送ったほどです。
この日本の貢献に対する礼として、イギリスやフランスはドイツが持っていた中国の山東半島や太平洋の島々の権益を日本が引き継ぐことを認めました。これは、日本が「火事場泥棒」のように勝手に奪ったわけではなく、連合国の一員として正当な報酬として得たものだったのです。
21カ条の要求は「理不尽な要求」だったのか?
多くの人が、「21カ条の要求」は日本が中国に対して行った、一方的で理不尽な要求だと考えています。しかし、事実は少し違います。
袁世凱の「お願い」だった?
そもそも「21カ条の要求」は、日本が日清・日露戦争で得た満州の権益を、中国での反日運動やアメリカ・イギリスの横槍から守るためのものでした。つまり、日本は「決まったことはきちんと守ってほしい」と主張していただけで、新しい要求をしていたわけではありません。
さらに興味深いのは、この要求の内容の一部は、袁世凱の前政権を率いていた孫文の時代からすでに協議されていたことです。そして、袁世凱自身が「内容はこのままでいいが、日本からの要求という形にしてほしい。そうしないと私のメンツが潰れる」と、日本の外務大臣であった加藤高明に頼み、公に「日本からの要求」という形になったと言われています。
つまり、「21カ条の要求」は、日本が一方的に突きつけた理不尽なものではなく、交渉によってすでに内容が決まっていたものだった可能性が高いのです。
なぜ「日本=悪」という認識が広まったのか?
では、なぜ「日本が理不尽な要求をした」という認識が世界に広まってしまったのでしょうか。
アメリカの思惑と情報戦
袁世凱は、自ら日本に頼んでおきながら、国内外に向けて「日本はひどい要求をしてきた」と事実とは異なる宣伝工作を始めます。当初、イギリスやフランスは冷ややかに見ていましたが、太平洋での利権拡大を狙っていたアメリカが、この宣伝工作に便乗し、大々的な日本批判を展開しました。
当時のウィルソン大統領は、「日本=悪」というイメージを植え付け、日本の国際的孤立を狙ったのです。このアメリカの動きに釣られるように、イギリスやフランスも次第に日本を批判するようになり、「嘘も百回言えば本当になる」という、かの国のことわざのように、「日本=悪」という認識が世界に定着してしまいました。
ウィルソン大統領は、日本がパリ講和会議で提案した人種差別撤廃案を「アメリカの国益にならない」として却下するなど、自国の利益を最優先する姿勢を貫いた人物として知られています。
まとめ
このように、第一次世界大戦における日本の行動と「21カ条の要求」は、私たちが学校で習った歴史とは少し違う側面があることが分かります。日本の正当な貢献、そしてそれに伴う利権の継承、そして国際的な情報戦によって形成された「日本=悪」というイメージ。これらの事実を知ることで、日本の歴史に対する見方も変わってくるのではないでしょうか。
次回は、こうしたアメリカの横槍から日本の国益を守った石井菊次郎による石井ランシング協定について解説していきます。
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