スキップしてメイン コンテンツに移動

満州:現代中国における「満州国遺産」の影響:観光と歴史認識 53−6

 🏛️ 現代中国における「満州国遺産」の影響:観光と歴史認識

満州国時代に建設されたインフラや建物は、特に東北地方の主要都市において、現代の都市景観の一部となり、異なる形で活用・評価されています。

1. 歴史遺産としての利用と観光化

旧満州国の近代的なインフラや建物は、時代背景を問わず**「近代的建築遺産」**として観光資源化が進んでいます。

A. 建築・インフラの保存と活用

  • 旧首都の変貌(長春):

    • 旧満州国の首都であった**新京(現:長春)**は、満州国時代の計画都市の設計(碁盤の目状の広大な道路網や公園)が現代の都市構造にも残っています。

    • 特に、旧関東軍司令部旧満州国中央銀行などの歴史的建造物は、その壮麗な近代建築が評価され、博物館や政府機関の建物として利用されています。

  • 鉄道・産業遺産の継承:

    • 大連ハルビンの旧満鉄関連施設やロシア様式の建物は、異国情緒あふれる観光スポットとして人気を集めています。

    • 瀋陽の鉄西区のように、かつての巨大工業地帯の一部が工業遺産として整備され、歴史的意義を伝える博物館やアートスペースに転用されています。

B. 溥儀の旧宮殿の利用

  • 満州国皇帝溥儀が住んでいた偽満皇宮博物院(長春)は、満州国の統治体制を象徴する施設として保存されています。

  • ここでは、満州国時代の歴史が展示されていますが、その内容は**「日本軍国主義の傀儡政権による抑圧の歴史」**という中国側の公式な歴史認識に基づいて構成されており、展示物と解説を通じて、教育的な役割も担っています。

2. 歴史認識と評価の変遷

中国国内における満州国時代のインフラや産業に対する評価は、時代と文脈によって二重性を持っています。

  • ① 政治的な評価:「負の遺産」としての側面

    • 公式的な歴史認識では、満州国は日本が建国した傀儡政権であり、その存在は侵略と植民地支配の歴史の一部として扱われます。

    • 「五族協和」の理念も、実態は日本支配を正当化するための手段であったと評価されます。

  • ② 経済・技術的な評価:「近代化の礎」としての側面

    • 新中国の経済史や工業史においては、満州国時代に整備された重工業(鉄鋼、機械)や鉄道インフラが、**「旧ソ連の援助と組み合わさって、新中国の工業化の土台となった」**という技術的・経済的な「遺産」として認められています。この側面は、特に東北地方が「共和国の長子」と呼ばれた時期に強調されました。

    • すなわち、**「政治体制は否定的だが、残された技術とインフラは活用すべき近代化の成果であった」**という、実用主義的な評価軸が存在します。


まとめ

満州国建国後の発展は、工業生産額の年平均約10%成長鉄道総延長の倍増といった数値が裏付けるように、経済的な繁栄と社会の近代化という「正の側面」を持っていました。満州国時代の建築物は、現代中国において**「壮麗な建築遺産」として観光に利用される一方でその歴史的背景は「侵略と抵抗の歴史」**を語るための教育材料として政治的に利用されています。一方、その経済的貢献は、新中国建国後の工業発展の歴史において不可欠な土台であり、**「近代化の礎」**として評価されているのです。



                やまとこたろう


ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。

   ↓          ↓

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村   

          PVアクセスランキング にほんブログ村 

コメント

このブログの人気の投稿

37.日韓併合 〜その実情

  今回は、日露戦争のわずか6年後の1910年に行われた 日韓併合 について見ていきたいと思います。 ①日韓併合の背景:大韓帝国の実情と日本の安全保障 日韓併合は、日本が武力で一方的に制圧・占領したものではなく、当時存在した 李氏朝鮮の最後の姿である大韓帝国が、日本の統治下に入ることを選択し、「韓国併合に関する条約」によって実現したもの です。 日韓併合の対象となった大韓帝国は、現在の韓国と北朝鮮を合わせた朝鮮半島一帯を統治していた国です。元々「朝鮮」あるいは「李氏朝鮮」という国名でしたが、この王朝は1392年から約500年間朝鮮半島を支配していました。高麗の臣下であった李氏が明の力を借りて建国した経緯から、 明、そしてその後の清の属国として長い歴史 を歩みました。 李氏朝鮮時代の約500年間は、両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級が権力を握り、多くの国民が貧困と搾取に苦しんでいたとされています。人口も減少傾向にあり、文化的な停滞も見られました。これについて歴史家の崔基鎬(チェ・ギホ)氏は、「他力本願ながら李朝の歴史に終止符を打った日韓併合は、この民族にとって千載一遇の好機であった。これを否定することは歴史の歪曲である」と述べています。日韓併合前の朝鮮半島は、このように国民の窮乏と文化的な停滞が長く続いた歴史を持っていました。 1895年の 日清戦争 で勝利した日本は、その後の日露戦争を経て、清の支配から李氏朝鮮を独立させました。これにより、朝鮮半島は500年ぶりに独立し、 大韓帝国が成立 したのです。 ②ロシアの南下政策と日本の危機感 話は前後しますが、当時の日本にとって最大の脅威は ロシアの南下政策 でした。ロシアの勢力が朝鮮半島まで南下すれば、北海道のすぐ北にある樺太(サハリン)と、九州の北に位置する朝鮮半島によって日本は挟撃される形となり、日本の安全保障は一層深刻なものになります。そのため、 朝鮮半島は日本にとって、何としても死守しなければならない生命線 でした。 しかし、国力が衰退していた李氏朝鮮には、自力でロシアの脅威から朝鮮半島を守る力はほとんどありませんでした。そこで日本は、朝鮮半島の近代化を支援し、ロシアの進出を阻もうとしましたが、長年宗主国として朝鮮を属国化していた清国は、当然これを許そうとしませんでした。 ③日清・日露戦争と日本の影響力確...

第一次世界大戦前夜:帝国主義の衝突 41-1/2 

  第一次世界大戦を簡潔に表現するならば、 それは 白人列強による植民地争奪戦の最終局面 と言えるでしょう。 この戦争に至るまでの国際情勢を詳しく見ていきましょう。 ①産業革命と植民地拡大の競争 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ諸国は産業革命を背景に、地球規模での植民地獲得競争を繰り広げていました。イギリスやフランスは、早期に産業革命を達成し、広大な植民地帝国を築き上げていました。一方、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリアといった後発の国々は、植民地獲得に出遅れていました。 しかし、この時期にドイツは急速な工業化を遂げ、「世界の工場」と呼ばれるほどの経済力をつけるに至ります。経済力の増大は、当然ながら国際社会における影響力の拡大を求める声へとつながり、ドイツはより多くの植民地、ひいては勢力圏を求めるようになりました。 ②アフリカ分割と列強同士の争い 列強が海外に目を向けた頃には、日本と中国を除いて、東アジアにおける植民地支配はほぼ完了していました。そこで、ヨーロッパ各国が次なる目標としたのがアフリカ大陸です。アフリカ分割競争は激化し、わずかな期間で大陸のほとんどが列強によって支配されてしまいました。 そして、アフリカ大陸にも「取り尽くす場所」がなくなると、今度は白人国家同士の醜い争いが表面化し始めます。これが、第一次世界大戦へとつながる直接的な引き金の一つとなります。 ③三B政策と三国同盟・三国協商の形成 第一次世界大戦勃発の大きな要因となったのは、ドイツの推進した**3B政策(ベルリン、ビザンチウム、バグダッドを結ぶ鉄道建設構想)**です。この政策は、ドイツがオーストリア=ハンガリー帝国を経由して中東まで鉄道網を延伸しようとするものでした。 このドイツの動きに対し、ロシアは南下政策の妨げとなると危機感を抱きました。また、イギリスはスエズ運河の権益が脅かされること、さらに鉄道がインドに到達することでその支配が危うくなる可能性を懸念し、看過できませんでした。 こうして、利害が一致したイギリス、フランス、ロシアは 三国協商 を結び、ドイツに対抗する姿勢を明確にしました。これに対しドイツは、同じく植民地獲得に出遅れていたオーストリア=ハンガリー帝国、イタリアと 三国同盟 を結び、勢力均衡を図りました。 ④サラエボ事件と大戦勃発 オスマン帝...

34.日露戦争での日本勝利への世界の反応 

日本の勝利への世界の反応などをまとめてみます。 ①インド初代首相ネルー: 「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩きつぶされると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかなわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、日本が勝ったのだ。 私は、自分たちだって決意と努力次第ではやれないはずはないと思うようになった。そのことが、今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは、日本なのだ。」 ②中華民国建国孫文: 「日露戦争はアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。この勝利は全アジアに影響を及ぼし、全アジア人は非常に歓喜し、きわめて大きな希望を抱くにいたり、大国の圧政に苦しむ諸民族に民族独立の覚醒を与え、ナショナリズムを急速に高めた。」 ③英国領ビルマの初代植民地首相バ・モウ: 「最初のアジアの目覚めは、日本のロシアに対する勝利に始まり、この勝利がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。 それは全ての虐げられた民衆に、新しい夢を与える歴史的な夜明けだった。 ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。 日本の勝利はわれわれに新しい誇りを与えてくれた。歴史的に見れば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の州発点と呼べるものであった。」 ④トルコ皇帝: 「われわれは、日本人の成功を衷心から喜ばなくてはならない。 ロシア人に対する日本人の勝利は、すなわちわれわれ有色人種の勝利である。 国家の命運は国民の自覚と愛国心で決するものであり、トルコの未来も日本を見習い近代化を進めるならば、決して悲観すべきではない。」 ④ロンドンタイムズ(新聞記事): 「日本海軍の目標は、単にロシア艦隊を打ち負かすことだけではなかった。これを撃滅することだった。そして、決意したことを成し遂げたのだ。 その理由は、軍艦にも砲にも、乗組員の熟練度にも、戦術の巧拙にも求められない。 精神的性格や高遠な理想、やむにやまれぬ熱情や、あまねく浸透した責任感と愛国心などに求められるべきだ。対馬海峡の勝利は、武士道によってもたらされたものである。」 ⑤アフリカ系米国人W.E.B.デュボイス: 「有色人種が先天...