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日露戦争:戦争を終わらせる準備 54−3

🤝 戦争を終わらせる準備

戦争を終わらせるタイミングと方法についても、当時の日本は周到な準備をしました。

1. 伊藤博文の和平への準備

  • 日本の国力は限界だった: 連戦連勝とはいえ、日本の国力は限界に達しており、これ以上戦争を続けることは不可能でした。一方、広大なロシアはまだ継戦能力を残していました。

  • 金子堅太郎を通じた米国への仲介依頼: 伊藤博文は、開戦前から、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領と親友であった金子堅太郎を通じて、戦争終結時の講和仲介を依頼していました。これは、日本が「どうやって勝つか」だけでなく、「どうやって戦争を終わらせるか」まで計画していたことを示しています。

2. 賠償金なき講和と国内の不満

  • 米国仲介によるポーツマス条約: ルーズベルト大統領の仲介により、ポーツマス条約が締結され、日露戦争は終結しました。

  • 勝利の実益: 日本は、大韓帝国に対する優越権、遼東半島南部の租借権、南満州鉄道の利権、樺太(からふと)の南半分を獲得しました。

  • 賠償金ゼロ: 日本の国力ではロシア本土を攻め落とすことはできず、ロシア側も徹底抗戦の構えを見せたため、条約では賠償金を得ることができませんでした。このため、国民の間では「多くの犠牲を払ったのに賠償金がないのはおかしい」という不満が爆発し、日比谷焼打事件などの暴動が発生しました。しかし、戦争継続による国力破綻という最悪の事態を避けたことは、指導層の賢明な判断であったと言えます。

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