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日露戦争:なぜ日本はロシアと戦わなければならなかったのか 54−1

 満州の話をしばらく中断して日露戦争について述べます。日露戦争は、日本にとって自衛のための戦争であり、決して侵略が目的ではありませんでした。この戦争は、ロシアの南下政策帝国主義の脅威から、日本と朝鮮・満州の安全を守るために不可避となった戦いです。

1. ロシアの膨張と日本の危機

  • ロシアの南下政策と不凍港の追求: 巨大なロシアは、その広大な領土の多くが北に偏り、冬に海が凍ってしまうため、一年中使用できる不凍港(凍らない港)を常に求めていました。このため、南へ南へと勢力を拡大する南下政策を国是としていました。

  • 満州・朝鮮をめぐる対立: ロシアは、満州を経て朝鮮半島に進出を試みました。もし朝鮮半島がロシアの植民地になれば、日本本土は直接的な脅威にさらされ、国防が極めて危険な状態になります。日本にとって、朝鮮半島と満州の安全は国の存続に関わる問題でした。

  • 屈辱的な三国干渉の記憶: 日清戦争の勝利で獲得した遼東半島を、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により返還させられたことは、日本国民の反露感情を決定的に高めました。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」(困難に耐え、復讐の時を待つ)という言葉が流行し、国を挙げてロシアに対抗するための準備を進めるきっかけとなりました。

  • 義和団事件後の満州占領: 1900年の義和団事件(北清事変)鎮圧後、列強は軍隊を撤退させましたが、ロシアは満州に軍隊を留め置き、事実上の占領を続けました。これはロシアの侵略意図が明白になった瞬間であり、「今ロシアを止めなければ日本は植民地になる」という危機感が政府、軍部、国民全体を覆いました。


2. 日本がたどる可能性のあった未来:植民地・奴隷化の恐怖

当時のロシアが農民を半ば奴隷(農奴)として扱っていた事実や、シベリアが事実上の植民地だった状況を考えると、もし日本が敗北していれば、日本国民を待っていた未来は以下の通りであったと、当時の日本人は本気で恐れていました。

  • 日本の植民地化と主権の喪失と天皇制の廃止

  • 日本人の奴隷化: 男性は強制労働、女性は性奴隷とされる可能性

  • 文化・言語の抑圧

日本は、この最悪の未来を回避するため、自国と国民を守るために、世界最強国の一つであったロシアとの開戦を決断したのです。日露の国力の差は、日米戦争時の日米以上に大きいものでした。


                    やまとこたろう


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