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自民党国会議員各位:ステマ事件や党籍剥奪疑惑があってもなおK候補に投票しようとお考えの議員様、次回選挙でK投票議員の大量落選となりますよ

次のメールを全自民党国会議員に送りました。

よかったら地元の国会議員事務所に電話して高市支援を呼びかけてください。

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党員票の最多獲得者を選ばず、ステマ事件や党籍剥奪疑惑があってもなおK候補を選べば、次回選挙でのK投票議員の大量落選、党の信頼崩壊と国家的な危機になる、と憂慮しています。

保守的な国民は、最近の党の左傾化と倫理観の欠如に憤っています。K候補を選べば、党の支持率低下傾向に拍車がかかり、次回選挙で多くの票が保守系野党へさらに流れ、わが党は奈落の底に転落しかねません。

さらに特定の問題(ステマ等)を野党が猛攻し、国会が長期的に機能不全、超短命政権となり、重要法案が滞れば、国家機能の停滞という最悪の事態が懸念されます。10年スパンで政治が大混乱し、自民党の野党転落、保守系野党の台頭、リベラル系野党衰退、不安定な多党連立政権時代へと突入するでしょう。

不安定な政治が長期化し、国民生活の窮状は深まり、国力は急激に衰退します。特に、安全保障上の備えの停滞は、周辺国の暴挙を誘引しかねない極めて危険な状況を招きかねません。

こうした最悪の事態を阻止し、日本とわが党をV字回復させるためには、T候補の政策「日本列島を強く豊かに」の実現こそが唯一の道であると確信しております。

議員各位は、一度立ち止まって冷静にお考えいただき、国家存亡の危機を乗り越えるご決断とご尽力を賜りますよう、切にお願い申し上げます。


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                    やまとこたろう

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