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誰が総裁なら自民党は選挙で勝てるのか?

 自民党国会議員にメールしました。

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「誰が総裁なら自民党は選挙で勝てるのか?

自民党への投票経験者の意識調査に基づく分析と予測

調査主体:京都大学  

調査対象:2019年〜2025年に自民党への投票経験がある2,000人


1. 支持者の大量離脱と流出先

過去6年間(2019年〜2025年)で、自民党への投票経験者の4割以上が支持を離脱しました。主な流出先は、国民民主党、参政党、保守党でした。


2. 支持離脱の主因は「リベラル路線」

離脱の主な原因は、以下の通りです。

  • 「国民を大切にしない政治姿勢」:50%

  • 「リベラル路線の継続」:岸田政権(20%)から石破政権(35%)

具体的には、緊縮財政、対中融和政策、移民拡大、農業軽視といった政策が、支持離れの要因として挙げられています。


3. 総裁候補と次の選挙の予測

総裁候補によって、現支持層の維持と離脱者の回帰傾向に大きな違いが見られました。

候補者

現支持者の支持継続

離脱者の支持回帰

根拠(離脱者が求める政策との合致度)

高市氏

高い継続性

3分の2が回帰

積極財政・保守的政策を主張

小泉・林氏

離脱が加速

1/4〜1/5に留まる

緊縮財政・保守回避を主張


4. 結論

自民党が次の選挙で勝利を収めるためには、離脱層が求める「積極財政・保守」路線への転換が不可欠であり、それが可能な高市氏の総裁就任が、党勢回復の鍵となります。現行の「リベラル路線」を継続すれば、現在の支持層も多く離脱することが示唆されています。

この分析に基づくと、高市総裁の場合、離脱者が求める積極財政・保守路線と政策が合致するため、現支持層の維持に加え、相当数の旧支持層の回帰が見込まれます。これにより、選挙で勝利できる可能性が高いと予測されます。

一方、小泉・林総裁の場合、離脱者が否定した緊縮財政・保守回避路線となるため、回帰は限定的となり、さらなる支持離れが進行し、党勢の衰退が加速する可能性が実証的に示唆されています。


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