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総裁選において「国民・党員」と「議員の論理」の「乖離」が深まると、自民党は「倫理観なき政党」として、70年の歴史に自ら幕を引くことになりかねません。 

 自民党国会議員にメールしました。

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自民党議員各位

「総裁選において「国民・党員」と「議員の論理」の「乖離」が深まると、自民党は「倫理観なき政党」として、70年の歴史に自ら幕を引くことになりかねません」       


若手のホープとしてK候補は、党内から大きな期待を集めました。しかし、前回総裁選の反省からか、今回は夫婦別姓や労働市場改革といった持論を引っ込めた安全運転に終始し、討論会でのカンペ丸読みやちぐはぐな回答が目立ち、「中身が空っぽ」「操り人形だ」との批判がネット上にあふれました。

その結果、日テレの党員電話調査では、K候補の支持率が急落し、T候補に逆転されています。さらに、ステマ事件(ネット上の人気操作)、シャインマスカット問題(生産者の利益侵害)、他候補支持の党員826人抹消疑惑といった深刻な倫理的問題・疑惑が、次々と報じられ、党員票の差は一層広がっていると予測されます。

にもかかわらず、メディア調査では、K候補への議員票が依然として優勢とされています。これは、「国民・党員の声」と「国会議員の論理」の間に、看過できない大きな乖離が生じている証拠です。

これだけの倫理上の問題・疑惑を「大したことではない」として、K候補支持を続けることは、「倫理観を重んじる日本国民に見放される」ことに直結します。今ネット上には、倫理観なき自民党への怒りの声があふれています。このままでは、党は「倫理観なき政党」として、70年の歴史に自ら幕を引くことになりかねません。

議員の皆様には、国民の信頼回復と党の未来のために、立ち止まって熟慮していただくよう切にお願いいたします。

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                    やまとこたろう

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