①石井菊次郎、第一次世界大戦で日本の信頼を築く
第一次世界大戦中、日本は日英同盟に基づき連合国側に参戦しました。当時の国際情勢は、自国の利益のためであれば、同盟国を裏切ることも厭わないという弱肉強食の時代でした。第二次世界大戦で、ソ連が日ソ中立条約を破って日本に侵攻したように、約束は紙切れ同然でした。
しかし、日本の外交官、石井菊次郎は、イギリスとフランスに対し、「日本は絶対に裏切らない。最後まで付き合う」と堂々と宣言しました。この言葉通り、日本は地中海でのドイツ潜水艦(Uボート)の脅威を排除するなど、連合国への貢献を果たしました。
このような日本の誠実な姿勢は、当時の国際社会で高く評価されました。そのこともあり、日本はパリ講和会議に主要国として招かれ、国際連盟の常任理事国になりました。これは、日本が国際的な信頼を勝ち取った歴史的な瞬間です。
②アメリカの疑念と「石井・ランシング協定」
連合国が日本の行動を高く評価する一方で、アメリカは日本に対し強い不信感を抱いていました。アメリカのウィルソン大統領は、日本が第一次世界大戦の混乱に乗じて中国での権益を拡大し、最終的には中国全体を支配しようとしているのではないかと疑っていました。
このような状況の中、日米間で「石井・ランシング協定」が結ばれます。この協定は、日本が満州における特殊権益を維持することをアメリカが承認する代わりに、日本は中国におけるアメリカの「門戸開放、機会均等」を尊重するというものでした。
当時の日本にとって、この協定は満州での権益を国際的に認めさせるという大きな成果でした。また、アメリカにとっても日本の中国侵略への懸念が和らぐという点で、日米双方にとって利益のある合意でした。
③協定の破棄と国際関係の転換
しかし、この協定はわずか5年でアメリカによって破棄されます。第一次世界大戦が終結すると、アメリカは日本の満州における権益を認めない方針に転換しました。この突然の態度の変化は、当時のアメリカにとって約束は「相手に守らせるもの」であり、自らは守る必要がないという考え方があったことを示唆しています。これは、国際的な信頼を築こうとした日本の外交とは対照的な姿勢です。
その後、石井菊次郎はアメリカに傾斜した原敬政権によって外交の舞台から遠ざけられてしまいます。これは、優秀な人材が正当に評価されないという、日本の歴史における残念な一面でもあります。
石井・ランシング協定の破棄は、戦後のアメリカが日本の台頭を抑え込もうとする姿勢の始まりでもありました。また、この協定破棄の背景には、ワシントン会議での日本の軍縮と中国での権益をめぐる日米間の対立が関係しています。
④最後に
このブログを通じて、国際社会で日本の地位を高めるために尽力した先人たちの功績が、より多くの人々に知られることを願っています。また、歴史を多角的に捉えることの重要性を感じていただければ幸いです。
日本の歴史には、他国に誇れる多くの功績があり、また反省すべき点もあります。この両方を直視することで、よりよい未来を築いていけるのではないでしょうか。
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石井菊次郎さん、知りませんでした。素晴らしい人物ですね。取り上げていただき、ありがとうございました!
返信削除コメントありがとうございます。
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