今回のテーマは、第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約に基づいて構築されたヴェルサイユ体制です。この体制がいかに戦勝国、特にイギリスとフランスの都合の良いように作られていたのかを解説します。
①パリ講和会議:ドイツへの過酷な要求
1919年に開催されたパリ講和会議は、第一次世界大戦後の国際秩序を定めるための重要な会議でした。ここでは、イギリス、フランス、日本、アメリカ、イタリアの主要戦勝国が中心となって議論が進められました。
特筆すべきは、当初ドイツ側で参戦していたイタリアが、イギリスの秘密外交によって連合国側に寝返り、戦勝国の一員として会議に参加したことです。一方で、社会主義国家であるソ連は、この会議から除外されました。
会議の焦点は、敗戦国ドイツに対する処遇でした。特にフランスは、自国の国土が主戦場となり甚大な被害を受けたため、その復興費用をドイツに求めました。その結果、ヴェルサイユ条約はドイツにとって極めて過酷な内容となりました。
・領土の剥奪: ドイツが保持していた植民地はすべて戦勝国に分配され、さらに本国領土の約6分の1が割譲されました。
・軍備の制限:陸軍は少数のみ保有を許されたものの、海軍と空軍は解体され、陸軍の最新装備もすべて廃棄させられました。
・莫大な賠償金: ドイツには、1,320億金マルクという途方もない額の賠償金が請求されました。これは当時のドイツの国民総生産 の約1割に相当し、最終的に完済されたのは2010年というほどの巨額でした。
このようにドイツを徹底的に叩きのめしたことが、後にヴェルサイユ体制の打破を掲げるアドルフ・ヒトラーの台頭を促し、第二次世界大戦への道を辿る一因となったと指摘されています。
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