①海上封鎖とドイツの苦境
第一次世界大戦において、開戦直後から世界最強の海軍を擁するイギリスは、ドイツやオーストリア=ハンガリー帝国に対し厳重な海上封鎖を実施した。これにより、中央同盟国は自国の植民地やアメリカなどの中立国からの物資補給が極めて困難となった。
一方、イギリスやフランスといった連合国側は、大西洋を挟んだ西に位置するアメリカ合衆国から潤沢な物資を補給することが可能であった。この状況は、第二次世界大戦における日本の状況と酷似しており、物量の差が戦局を大きく左右することが明らかであった。
②無制限潜水艦作戦とアメリカの参戦
ドイツは海上封鎖を打破するため、イギリス海軍に幾度となく戦いを挑んだが、世界最強を誇るイギリス海軍に勝利することは叶わず、戦いは引き分けに終わり、海上封鎖を解除することはできなかった。
この打開策としてドイツが選択したのが、無制限潜水艦作戦である。Uボートと称される潜水艦を用いて、イギリスやフランスへ向かう輸送船を無差別に攻撃した。特に食料の多くを輸入に頼っていたイギリスには壊滅的な打撃を与えた。
しかし、この作戦はドイツにとって致命的な結果を招くことになる。大戦を通じてイギリスやフランスに武器や食料を輸出して莫大な利益を得ていたアメリカ合衆国が激怒したからである。アメリカの輸送船が攻撃され、商業活動に大きな支障をきたしたことは、アメリカ国民の不満を高めた。
当時のアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは、「民主主義を守るための戦い」という大義名分を掲げ、開戦から約3年が経過した1917年4月、連合国側として参戦することを決定した。
しかし、アメリカの参戦の真の理由は、ドイツによる通商破壊作戦によって自国の経済的利益が損なわれたことにあったことは明白である。もし本当に民主主義のためであれば、開戦当初から参戦すべきであったという批判は当然であろう。
結局、アメリカの圧倒的な兵力と物量により、連合国側が勝利を収めることとなる。この戦争における貢献は、戦後の国際社会におけるアメリカの発言力を飛躍的に増大させた。
③ロシア革命と秘密外交の暴露
第一次世界大戦の終盤、ロシアでは1917年にロシア革命が発生し、世界初の社会主義国家であるソビエト連邦が誕生した。ソ連はドイツとブレスト=リトフスク条約を締結して単独で戦争から離脱し、同時に「平和についての布告」を発表した。その内容は、他国の領土併合の禁止、賠償金の撤廃、民族自決の尊重などを謳うものであった。
この布告の中で、ソ連は自国の主張の正当性を示すため、連合国側の秘密外交を暴露した。イギリスは国民に対し「祖国を守るための戦い」と宣伝し、アメリカは「世界の平和と民主主義を守るための戦い」と主張して参戦したにもかかわらず、その裏では、戦後の領土分割や勢力圏の確立に関する密約が交わされていたのである。
例えば、イタリアに対しオーストリア領の一部を与えるロンドン秘密条約や、オスマン帝国領の分割に関するサイクス・ピコ協定などが暴露された。
これらの暴露は、イギリスやアメリカの自国民、そして国際社会から強烈な批判を浴びた。
これに対し、アメリカは慌てて秘密外交の禁止や国際平和のための組織設立を提唱する**ウィルソン宣言(十四か条の平和原則)**を発表した。これにより、国際連盟設立への動きが加速することとなる。
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