日露戦争1と2で述べたように、陸と海の両方で勝利を収め、アメリカのルーズベルト大統領の仲介でロシアを和平条約を結ぶことになりました。これが有名なポーツマス条約です。
①ところが、交渉は初めから荒れに荒れます。ロシアが日本が要求した賠償金の支払いを拒否したためです。ロシアの言い分は、「確かに戦闘では押されたかもしれないけれども、俺達の領土は無傷だから負けてないよね。なんで賠償金なんか払わなきゃいけないの」ということです。
日本からすると、ふざけるなっていう話なんですが、当時の日本にはこれ以上戦争を続ける力というものはもうありませんでした。だから、渋々賠償金を放棄しての早期の講話に応じたわけです。戦争継続なんてことになったら、奉天にいる弾薬切れの日本軍は全滅するしかないですからね。
②しかし、これに怒ったのが日本国民です。国家予算の10倍の戦費と9万人以上の死者という莫大な被害を出してようやく勝てた戦争なのに、賠償金が取れないなんてふざけるなとなってしまい、日比谷焼き討ち事件が起きてしまいます。
まあ、陸軍のおかれたやばい状況なんていうのは、当時の国民は知りませんから、気持ちは分からんでもないですよね。
③さて、ここまでの解説だと、日本は戦争には勝ったものの外交では負けてしまい、得られたものは少なかったと思ってしまいますけれども、そういうわけではないのですね。日本が得た大きなものは、主に三つあります。
一番大きかったのは朝鮮と満州からロシア軍が撤退したことです。一見、朝鮮半島と満州からロシアが出ていっただけなので、日本にメリットは薄そうに思われます。しかし、そもそもの戦争目的は朝鮮半島から侵略者ロシアを追い出すことだったわけです。つまり、戦争目的は達成されていますから、まあここは日本の勝利と言ってよいと思われます。
次に遼東半島南部の権益をロシアから譲り受けたことですね。ここはもともと日清戦争で日本が清から譲り受けたにもかかわらず、三国干渉でロシアに奪い取られたところですから、ロシアへのリベンジというのも果たせたわけです。
最後に、南満州鉄道の経営権を得たことです。これによって、アメリカとの関係が若干おかしくなり始めるのですが、その辺りの話は別の回で解説をしたいと思います。
④ここで、勘違いをしてほしくないのですが、あくまで鉄道の経営権を得たというだけの話で、満州自体は清国に返還されています。
普通なら、満州を丸ごと日本のものにしていても何もおかしくない状況だったにもかかわらず、清国に返還してあげたわけです。その上日本は満州にかなりの額の投資をして発展させていますから、かなり優しいですよね。ところが、この優しさが中国の裏切りを誘発し、後の満州事変へとつながっていってしまいます。
やまとこたろう
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