スキップしてメイン コンテンツに移動

29.日露戦争の要因 ~抑止力の大切さ、今の日本は大丈夫?~

①今回は日露戦争の原因について見ていきたいと思います。

大きく分けて二つの原因があります。

一つは、当時の清国と朝鮮が余りにも弱かったこと、更に強くなろうとする意志はかけらほどにもなかったことです。

もう一つは、超侵略国家ロシアの目が清国と朝鮮に向いていたということです。


日清戦争で白人にばれてしまったように、清国というのは領土だけはだだ広いけれど、軍という面では余りにも弱く、領土を広げたかったロシアとしては、格好の獲物だったのです。



②更に、朝鮮半島は日本のお陰で独立はしたものの、長年清国の属国でした。強い者に土下座することで生き残るということをずっとやってきたために、朝鮮には自分で頑張ろうという意志が全くありませんでした。


日本は朝鮮に対して、日清戦争よりも前からずっと近代化の支援をし続けていたのですよ。ですから、朝鮮には日本にならって近代化しようと思えばできるだけの時間とお金の余裕は十分にあったのです。しかし、そういう努力は一切せず、清がアヘン戦争でイギリスに負けてしまったという現実を見ることもありませんでした。


ですから、日本の度重なる支援に対しても、「何で日本のような小国の言うことを聞かなければいけないんだ。中国様は守ってくれる気だ。私は常に強い者の味方に立つ」と虚言を吐いていたわけです。そんな状態ですから、日清戦争で日本が勝って、清より強いということが分かると、当然日本の方にすり寄ってきて、親日政権を作ります。


しかし、三国干渉で日本がロシアに譲歩すると、あっさり手のひらを返して、今度はロシアの方に媚びていきます。日本と協力しようと言う人たちとロシアに土下座しようという人たちの争いの中で、朝鮮国王が自らロシア公使館に逃げて政権を献上してしまうという状態でした。国を守るべき国王が最強の売国奴という信じられない状態だったわけです。


このように、近隣諸国が余りにも貧弱でしかもそれを変えようとする意志がかけらほどもなかった。このことがロシアの侵略を招いてしまったわけです。



③次に膨張政策を取るロシアは東アジアをどんどん南下してきていました。清にも朝鮮にも、ロシアを止めようとする意志も力もありませんでしたから、まあ当然と言えますよね。


日本にとって朝鮮を大国に取られるということは、即日本への侵略の危機を意味しますから、これは最優先で解決しなければならない問題でした。そこで日本は、戦争を避けるためにロシアと何度も交渉し、朝鮮の領土的な独立と朝鮮近代化の支援を認めてくれるように、要求します。


しかし、「何で大国ロシアが、東アジアの猿の意見を聞かなければいけないのか。常識的に考えて朝鮮も満州も全部俺のものだろう」と、全て却下されてしまいます。その上ロシアは、軍隊を集結し朝鮮半島北部を制圧してしまいます。このまま放っておけば、朝鮮が全てロシアのものになってしまいますから、日本としては自分の安全を守るためにロシアと戦わざるを得なくなってしまったわけです。



④つまり、ロシアとの戦争を避けたかった日本が、何故日露戦争を戦わざるを得ない状況になってしまったかというのを、一言で言うとするならば、抑止力がなかったからです。


歴史にIfは余り意味がないかも知れませんが、清や朝鮮がもしもっとまともな国家で、現実を見据えて近代化することができていれば、ロシアもそう簡単に領土を広げることはできなかったでしょう。さらに、近代化した清や朝鮮と日本が協力して集団的自衛権を行使できていれば、その後の歴史は間違いなく大きく変わっていたでしょう。


この教訓から学ぶべきことは、戦争を避けるためには、他国から簡単に攻め込まれないだけの軍隊をしっかり育てておかなければいけないということです。今、中露北の地政学的脅威に晒されていながら、憲法改正もできず核共有の議論もできない日本は果たして大丈夫でしょうか?ウクライナのようなことにならないでしょうか?



                    やまとこたろう



ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。

   ↓          ↓

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村   

          PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

石破候補の裏切りの歴史がSNS上にあり国民の目に触れています。それを承知で投票されるのですか?

自民党議員に送りました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 靖国神社の参拝に否定的。大東亜戦争を侵略戦争と呼び、中国に謝罪せよと。 1.1981年、父の死後、 真っ先に葬儀に駆けつけてくれた 田中角栄氏の助言で政界を目指すも 田中派ではなく中曽根派からの立候補。 2.1993年 非自民の細川連立政権が成立。 自民党が野党に転落すると、 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に 「私はね、政権与党にいたいんです」 と捨て台詞をはき離党届。 3.小沢一郎を「真の改革者」と称賛して新進党結成に参加するも、小沢一郎が党首に選ばれると、自分の考える政党と違うと総選挙前に離党。 4.自民党に復党するも誰も相手にされず、伊吹文明が情けをかけて伊吹派に入れてあげるも、その後に入閣すると「閣僚が派閥に属するものはいかがなものか」の捨て台詞で伊吹派を離脱。 5.麻生政権の閣僚を務めていながら、支持率低迷で総選挙が近づくと総理官邸に乗り込み、謎の論理を展開して麻生おろしに加担。 6.民主党からの政権奪還を目指した自民党総裁選で安倍晋三と総理を争い、敗れて幹事長に在任期間中、地方選挙で連戦連敗し、自民党支持者を裏切る。 7.地方創世担当で実績を残せないどころか既得権益に配慮して加計学園問題で地方を見殺し。 地方を裏切る。 8.森友問題や加計学園問題などで テレビに連日出演して、安倍政権を背後から撃つ発言をしまくり、マスコミの安倍おろしに加担。                   やまとこたろう 高市さんはまだ3位だと藤川氏(選挙の神様、現在高市支援中)が警鐘。気を引き締めましょう。後2日で日本の運命が決まります。地元議員に高市さん支援を訴えてください。SNSを発信し続けてください。高市リーダーを支えて新しい日本をともに作っていきましょう。 #高市早苗 ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。   にほんブログ村

妻滝川クリスティ外国実業家との不倫疑惑や、小泉・滝川別居等の報道により、カリスマ小泉イメージが更に悪化

 滝川氏が58歳シンガポール実業家から自分の動物保護活動のために多額借入れがあり、不倫関係にあるとの報道が週刊誌やネットを賑わせています。 動物保護の観点から滝川氏はビーガン食を出し、肉好きの小泉議員はそれを好まず夜会食を取り議員宿舎に泊まる生活になり、不倫再開が懸念されています。 滝川氏は議員の将来性に不安を感じ、長男を英才教育し小泉5世に育てあげるつもりとの観測も流れています。 総裁選におけるお粗末過ぎる諸発言を国民が知り、熱烈な小泉ファンであった若い女性層やサラリーマン層がドン引きしました。それに加えたプライベート疑惑はカリスマ性瓦解に拍車をかけています。 「小泉を支援するのは誰だ」とネットの随所に。カリスマ小泉イメージに頼っていれば選挙に勝てると考えている議員の方々、国民をなめているとしっぺ返しを受けますよ。 高齢者も含め党員の多くがネットにアクセスし、党内の旧来型の権謀術数と権力闘争のかなりの部分を知り、左派大手メディアのフェイクを知っています。 政治力のなかった国民が初めて、偏向メディアと結託した既得権益権力に対抗する手段としてネットを手にし、国をよくしたいという国民の幅広い連帯感が生まれ始めています。 ある前議員が「党員は政策を考え、議員は自己保身しか考えていない」と 嘆いていました。 高市早苗 さんを推してます。やまとこたろう ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。   にほんブログ村

23−1.欧米列強による苛烈なアジア植民地支配

15世紀の大航海時代で世界に進出した西欧列強は、やがてアジア全域を植民地化した。彼ら白人帝国主義国はいかなる侵略行為を行ったのか? ① 掠奪と搾取 ・350 年にわたりインドネシアの香辛料など独占的に収奪したオランダは、19世紀に入ると、強制栽培制度を導入し、耕地の半分にわたって、コーヒー・砂糖・藍などのヨーロッパ市場向け作物を強制栽培させた。これによる巨額な収益は国家予算の3分の1を占めた。一方、農民は自らの食料であるコメを栽培することが困難になり、多くの餓死者が出た。 ・インドシナ半島東部を支配したフランスは、土地の没収令を出して、申告のない土地を収奪しフランス人らに無償で与えたため、農地を奪われた農民は小作人からさらに債務奴隷へと没落した。 ・イギリスは、インドの綿織物輸入で利益を上げていたが、産業革命で自国の綿織物工業が盛んになると、インドの綿製品には課税し、イギリスの綿製品には免税して逆輸入させてしまった。これによりインドの織物業は壊滅的打撃を受け、織物都市のダッカの人口は激減した。 また、茶の輸入により入超になったイギリスは、中国へ流出した多額の銀を取り戻すためにインド植民地にケシ栽培を強制し、大量のアヘンを中国に密輸して暴利を得た。財政悪化を招いた清はアヘンの密輸を取り締まったが、イギリスはこれを口実に戦争を仕掛け、香港を租借した。これが悪名高いアヘン戦争である。これが切っ掛けとなり中国大陸は列強による半植民地状態へと転がり落ちていった。 ②貧困と飢餓 ・当初列強は、アジアの都市・沿岸地方における貿易で利潤を得るのが目的であったが、18世紀後半の産業革命を迎えると、原料の供給地と製品の市場として広範囲な植民地を必要とし直接支配するようになった。 ・土地の集約的耕作と輸出用換金作物の大規模栽培は、白人の資本投下によるプランティションで行われた。それは無料に近い土地で低廉な労働力を使い、莫大な収益をあげるものであった。そして、マレーのゴム、インドの綿花というように、特定の一次商品を宗主国に輸出し、完成消費財を輸入するという経済構造に変質したため、従来の自給型農業が決定的な変化を被った。 ・その結果、水田の減少や失業者の増加により、飢饉に際して多くの犠牲者を出す地域が現れた。ジャワでは人口33万の町が12万に減少したり、インドではイギリスの支配ののち飢饉が増...