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27−6.ヨーロッパ諸国による清国の植民地化、新規参入を狙うアメリカ


①日清戦争で負けた挙げ句、外国の力を使って遼東半島を取り戻した清は、当然ロシア・ドイツ・フランスから見返りを求められることになります。力を貸してもらったわけですから、当然と言えますよね。


その上、日清戦争では清が自国の弱さを猛アピールしていますから、当然白人たちからは足元を見られることになります。その結果、フランス・ドイツ・ロシアに領土の大半を取られ、さらに関係のなかったイギリスにまでかなりの部分を取られてしまうことになります。



②特に注目すべきはロシアですね。三国干渉で日本に対し「東アジアの平和のために遼東半島は清に返すべきだ」と言っていた本人が、ちゃっかり自分のものにしています。これによってロシアは念願の不凍港を手に入れることができることになり、日本にとっては大きな脅威となります。


清は、白人を使って遼東半島から日本を追い出した結果、結局遼東半島はロシアに取られ、その上、白人たちによって領土の大半を取られるという、何ともアホらしい結果に終わってしまったわけです。


当時、日本が恐れていたのはロシアですから、できれば清にも朝鮮にも近代化してもらって、防波堤になってもらいたかったのです。それなのに、白人にやられるのはまだ許せるけれども、日本だけには負けたくないという清のつまらないプライドによって、結局はより悲惨なことになってしまったわけです。


清は白人に頼ってしまった結果、こうなってしまったわけですから、学習をして今後はこういうミスをしないようにすると思うでしょ。ところが、そうはいかない。日中戦争の時も、中国は似たようなうなことをやらかしてしまいます。



③ここで、視点をアメリカに移します。アメリカはちょうどこの頃、アメリカ大陸をすべて征服し、太平洋の島々や中国に目を向け始めていました。ところが、中国はほとんどヨーロッパ諸国によって分割されていたので、アメリカが切り取り合戦に入り込む余地がなかったのです。


そこで、アメリカはどうしたか。清国の領土保全を建前にして、ヨーロッパの植民地はそのままでいいから、貿易の特権を俺にもよこせというような宣言を出したのです。これを門戸開放宣言と言います。まあ、当然誰からも相手にされないのですけれどね。



④後に番狂わせで、日本がロシアに勝つと、状況が変わります。日露戦争後、アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンは、南満洲鉄道の共同経営を日本側に申し入れ、桂首相と仮協定を結びます。しかし、ポーツマス講和会議から帰国した外務大臣小村寿太郎の強い反対により仮協定破棄となってしまいました。


もし、満鉄の日米共同経営が実現していれば、当時英国を越えるスーパーパワーになりつつあったアメリカとシナ大陸で共同権益を持つことになり、日本の安全保障にとって非常に有利な分岐点になった可能性があります。アメリカによって日米戦争へと仕向けられる方向には進まなかったかもしれませんね。


仮協定破棄の政治判断が良かったのか悪かったのか、評価の分かれるところですが、今も、世界的視野に立った戦略構築ができない政治家たちによって日本が経営されており、日本の将来が非常に心配ですよね。



                   やまとこたろう




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