26-8で東アジアは朝鮮という事大主義(強い者につく)のせいで、日本がまったく必要のない争いに巻き込まれて迷惑していたということを述べました。今回はその続きです。
①明治27年、26-8のたった2年後です。朝鮮で今度は東学党の乱というのが起ります。東学党というのは、朝鮮で起こったカルト宗教のようなもので、その信者たちが暴動を起こしたのです。で、朝鮮政府は自力で鎮圧できないので、宗主国である清に泣きつくわけです。まあ、子分に泣きつかれた親分としては、助けないわけにはいきませんので、出兵をすることになります。
ところが、清は2年前に結んだ天津条約を無視して、日本への事前通告なしに出兵します。しかも、その出兵の大義名分は「わが属国の朝鮮の保護」ですからね。朝鮮が独立して一人前の国家になってほしい日本の立場とは、根本から対立していますよね。
つまり、日清戦争というのは、朝鮮は俺の子分だと主張する清と、朝鮮は独立させてあげましょうよと主張する日本の対立だったということになります。日本から見れば、朝鮮独立支援戦争だったわけですよ。教科書なんかでは、なぜかこの部分が書かれておらず、日本のアジア侵略の始まりといった書かれ方をするのが多いようですけど、これはひどく偏った見方だと思いませんか。
②さて、戦争自体はたった9ヶ月の短期間で終わります。日本の圧勝でした。で、この戦争までは、中国というのは、ヨーロッパから見たら国力もそれなりにあって人口が多いのだから、本気を出したら強いのではないかと思われていたのです。
ところが、実際戦ってみたら、めちゃくちゃ弱かったことが白人たちに知れ渡ってしまったのです。その結果、”眠れる獅子”と呼んで侵略を躊躇していた白人たちは、日清戦争以後、”眠れる豚”と表現を変えて、どんどん中国から領土を奪っていくことになります。
③さて、あっさり日本の勝利に終わったこの戦争ですが、重要な点が二つあります。
一つは、世界史で初めての本格的な近代艦隊決戦が行われたという点です。ですから、東アジアの戦争であるにもかかわらず、欧米列強から熱い注目を浴びていたわけです。
当然、いろんな国の軍人たちが戦いの様子を見に来ていました。中国の教科書では、日本軍はアメリカの国旗を掲げて近づいてきて、射程距離に入るやいなや日の丸に入れ替えていきなり攻撃を仕掛けてきたとか、散々卑怯な手を使って日本は中国に勝ったんだ、というようなことが書いてあるようでなんですが、欧米諸国の報告書にはそんなことは一切書かれてないのですよ(歴史の捏造)。もし本当なら、報告が上がっているはずですよね。というか、事実だとすればアメリカはブチ切れますよね。
④もう一つ日本にとって重要なことは、初めての国をあげての対外戦争で日本国民が一致団結できたという点です。
日清戦争以前の日本の国内状況はかなり混乱していて、国防予算が議会の反対で通らなかったり、議会が解散させられたりで、ほとんど内戦に近い状態だったのですよ。
だから、中国は、国力は明らかに中国の方が強く、日本はあんなに混乱しているのだから、楽勝だろうと思っていたわけです。
ところが、いざ戦争が始まるぞという状況になったら、天皇陛下の権威のお陰もあって、あれだけ無茶苦茶だった野党が、政府と一致団結し俺達もがんばるから、政府がんばれという流れになったのです。
⑤中国からしたら、ポカーンという感じですよね。中国や朝鮮では、こういう状態に絶対になりませんからね。こういう国民性が、日本の最大の強みだったと思います。
しかし、最近の日本では、広く深い見識に欠け、既得権益死守・自己保身・党利党略に走る政治家が多く見られ、国益が損なわれていることが非常に残念です。
やまとこたろう
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