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26-5. 大日本帝国憲法作成過程に学ぶ改憲の視点

 

①帝国憲法の作成に大きく関わったのは、何といってもドイツ憲法を学びにドイツに留学した伊藤博文ですね。ドイツの大学で、第一条は〇〇、第二条は□□と学ぶのですが、それがまるで高校の授業のようで実につまらない。そんな内容は本一冊あれば事足りてしまうのです。「俺は一体何をやっているんだ。時間の無駄だなあ」という風にモヤモヤしていていたわけです。



②そんな時に、シュタイン教授という法学者と出会い、「わざわざドイツまで来て、何を勉強してるの」と聞かれます。それに対して伊藤は正直に「はい、ドイツ憲法の条文を頑張って憶えています」と答えます。


教授は、「馬鹿な、そんなのまったく意味がないじゃないか。じゃあ聞くけど、ドイツの憲法を憶えて日本に持ち帰ってそのまま使えるの。無理でしょ。ドイツも、イギリスも、フランスもそれぞれ別の憲法を持っているけれども、それはその国の文化とか歴史とか伝統とかが違うから、それぞれの国に合わせた憲法を作っているのだよ。条文だけ猿真似したって、そんなものが日本で使えるわけないじゃないか。」などとボロクソに言われるわけですよ。


これを聞いて、伊藤の中で何かが目覚め、シュタイン王国員第一号となります。



③日本に帰ってから、伊藤は、シュタイン教授の教えに従い、古事記や日本書紀やその他日本の古い文献を読み、日本の歴史や文化や日本人の心を必死に研究します。その後に、ようやく憲法の作成に取り掛かったのです。


ちなみに、伊藤は先の一件以来、憲法研究のために日本からドイツに留学する人には、必ず教授に会いに行かせています。皆感銘を受け王国民になって帰ってきたそうです。教授が亡くなった時には、教授を祀る神社を日本に作ろうという話まであったそうです。どれほど崇拝していたか、何となくわかりますよね。



④最近、憲法改正が話題になることがありますね。それ自体はいいことだと思いますが、今の議論は憲法9条をどうするかとか憲法制度をどうするかということしか聞こえて来ません。でも本当に大事なのは、その条文とか制度に日本人の心とか民族性とかをいかに込めるかということだと思います。


今の憲法は敗戦後GHQ支配の下でアメリカによってたった一週間で作られ押し付けられたものですから、日本人の心なんて入っていないのですね。憲法というものはその国のすがたを表わすものだから、世界標準と称する猿真似で綺麗な条文を捏造することではなく、その国の心をいかに表わすかが大事だと思います。


しかし、オールドメディア・政治家・経済界・国立大学・知識人の多くが、いまだに自虐史観(自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価し、自国を貶める歴史観)によって日本の思想空間を大きく支配し、日本の独立自尊を妨げる癌のような存在となっています。


一方、若い世代が日本人の心と文化と歴史を深く学び、SNSで発信したり、新しい政治ムーブメントを起こしたりしています。私も彼らから学ばせてもらいながら、微力ですが本ブログをあげさせてもらっています。このような若い世代のパワーに大いに期待しているところです。   


                   やまとこたろう



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