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25−2.なぜ、日本は西洋列強に植民地支配されなかったのか?

 

様々な要因が複雑に絡み合っていますが、主な理由としては以下の5点が考えられるでしょう。


1.世界で唯一無二の日本文明                           ・日本民族は、西洋諸国や他のアジア諸国と異なる、高い精神性をもった世界で唯一無二の文明を持っていました。天皇を中心とした家族という絆、調和、自然との一体感、神ながらの道、仏道、道徳、無私、感謝、武士道、美意識、日本語(世界で最も特殊)、勉学、勤勉、文化芸術などの高い精神性が、縄文時代以来1万年余りにわたって育まれてきました。

・この日本文明が基盤となり、日本人は物作りにも秀で、安土桃山時代には世界最大・最高品質の火縄銃生産国となり、スペインの日本植民地化の企てを挫きました。

・江戸時代には植民地化を拒否する鎖国政策を強い防衛力により実現し、200年の平和を作り出し、様々な庶民文化が花開きました。国内循環型エコ社会が作り出され、湿地帯の多い荒れ地に当時の世界で最も識字率が高く最も衛生的な大都市江戸が構築され、当時のロンドン・パリの人口以上の人々が平和で心豊かな庶民生活を享受していました。


2.自然環境                                   ・日本列島は、戦乱に次ぐ戦乱に荒れ続ける支那大陸から大海によって遠く隔てられ、山紫水明の豊かな自然環境に恵まれ、独自の文明を平和裏に育む揺籃器の機能を果たしてきました。

                           

3.大変革

・明治維新:西洋列強による日本侵略の脅威に直面し、日本は明治維新という大きな変革を遂げました。この変革によって、中央集権化が進み、近代化が急速に進められました。

・殖産興業・富国強兵:西洋列強の脅威に対抗するため、殖産興業・富国強兵政策を推進し、経済力と軍事力を強化しました。

・西洋技術の積極的な導入: 西洋の科学技術や制度を積極的に導入し、短期間で近代国家へと変貌を遂げました。

                                  4.国際情勢

・列強間の競争:19世紀後半のヨーロッパでは、列強間の植民地争奪争いが激化していました。当時の超大国英国が、ロシアのアジアでの南下を阻止するため、栄光ある孤立を捨て、日本と初めての他国との軍事同盟を締結しました。この日英同盟が日露戦争の勝利の支えとなり、日本の第一次世界大戦での貢献、国際連盟の常任理事国入りへとつながりました。

・アメリカの南北戦争:イギリスの宗教弾圧から新大陸逃れてきた清教徒たちが、先住民を大量殺戮し、アメリカを建国し、西へ西へと侵攻し、中南米を支配し、ハワイを支配し、更に西に進み太平洋全域を支配し、支那大陸への足がかりとして日本支配を望みましたが、南北戦争が起こり、日本侵攻が遅れることになりました。

                                 5.日本の抵抗

・不平等条約改定:植民地化されなかったとはいえ、日本は西洋列強から強い圧力を受け、不平等条約を結ばされるなど、多くの困難に直面しました。しかし不平等条約改定のため粘り強く交渉し、主権回復を目指しました。

・戦争勝利: 日清戦争(世界2位の経済大国との戦争)、日露戦争(世界最強の陸軍国との戦争)に勝利し、第一次世界大戦で連合国側に加わり勝利し、アジアにおける日本の地位を確立し、西洋諸国に対してもその実力を示しました。


◯江戸時代末期、日本は西洋の軍事圧力により開国を強要された弱小国でしたが、日本文明の底力を発揮して、わずか50年で三度の大戦争を勝利し、世界の五大国(米英日仏伊)の一つとなりました。このような事例は他にまったくありません。また今後もないでしょう。


              やまとこたろう      


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