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26-3. 文明開化の中での明治天皇のご心痛

 

①当時は文明開化の真っ最中で、新しい知識や考え方がどんどん西洋から入って来た時代でした。しかも西洋諸国は、日本よりはるかに強い経済力と軍事力を持っていました。その影響から、今まで日本人が持っていた道徳や価値観が何か古臭いものと感じる人が多くなっていきました。にもかかわらず、従来の道徳や価値観に代わる新しいものがありませんでした。その結果、道徳の空白期間が生まれてしまい、廃仏毀釈のようなかたちになって表れたりしていました。状況が今とよく似ていますよね。


このことに、明治天皇は大変心を痛めておられました。文明開化が進み、近代化が進み、日本が発展していく方向にあるが、何か大切なことを忘れてしまっているのではないか、そんな懸念と不安がありました。そういう状況の中で、明治天皇ご自身が、新しい時代にふさわしい道徳や価値観を示されたのが教育勅語です。


②教育勅語には12の徳目が書かれています。

まず初めに、「日本ははるか昔に建てられ、建国以来道徳を大切にし皆が力を合わせてこの国を守ってきました。これこそが日本の最も誇るべきことであり、教育の原点もまたここにあります。」という書き出しで始まります。

12を現代語訳するとこうなります。注:( )内は原文。

1.親を大切にしましょう。(父母ニ孝ニ)

2.兄弟姉妹仲良くしましょう。(兄弟ニ友ニ)

3.夫婦は仲良くしましょう。(夫婦相和シ)

4.友だちは信じ合いましょう。(朋友相信シ)

5.自分勝手なことをしないようにしましょう。(恭倹キョウケン己ヲ持シ)

6.人には優しく接しましょう。(博愛衆ニ及ホシ)

7.勉強して仕事につきましょう。(学ヲ修メ業ヲ習匕)

8.知識を養い才能を伸ばしましょう。(以テ智能ヲ啓発シ)

9.人格の向上に努めましょう。(徳器ヲ成就シ)

10.  世の中のためになる仕事をしましょう。(進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ)

11.  法律を守りましょう。(常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵シタガイ)

12.  有事の際には勇気をもって戦いましょう。(一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮テンジョウムキュウノ皇運ヲ扶翼フヨクスベシ)

これらをもって日本を支えていきましょう。


教育勅語は、命令ではなく、天皇ご自身が国民一人一人に語りかけたものです。本文の最後には、「私もまたこれらのことを行い、国民の皆様とともに立派な日本人となれるよう努力したいと願っています」という言葉で終わっています。つまり、「私もがんばるから、皆でがんばりましょうよ」と言われているのですね。



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