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23−2.欧米列強による苛烈なアジア植民地支配:弾圧と虐殺など

 ③弾圧と虐殺

列強は植民地支配への反乱については、きびしい弾圧と虐殺でのぞんだ。

・イギリスは、1857年に起こったセポイの反乱に徹底的な弾圧を加えた。当時のイギリスの『タイムズ』紙は「キリスト教会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院をたたきこわせ。白人殺害1に対し、老若男女を問わず1000人の暴徒を死刑にせよ』と報復を訴えた。事実、イギリスは、みせしめのため捕虜の集団銃撃や焼き殺しなど、珂責ない弾圧と虐殺を行った。

・フランスのベトナム支配は、監獄をつくることから始まるといわれた。1940年のメコン河流域の住民蜂起では、6000人のベトナム人が逮捕され、サイゴンの監獄は満員となり多くの囚人が死亡した。1945年、ホーチミン国家主席が読み上げた独立宣言にその怒りが込められている。「…彼らは学校より多くの監獄を建て、容赦なく愛国者を殺害し、蜂起を血の川に溺れさせた。…」


・アメリカは、キューバの支配権を巡ってキューバの旧宗主国であったスペインと戦争し勝利し、フィリピンの支配権を譲り受けた。そのフィリピンに8万人の陸軍部隊を送り込み、全域を制圧した。また、1906年、アメリカ式の土地制度などに反発したイスラム系住民の反乱の時は、米軍は彼らの砦を包囲し、戦闘員から女子供を含めて6百人全員を皆殺しにした。



④複合民族化
・大規模農業の急速な開発によって、大量の労働者を必要とした列強宗主国は、大量の移民政策をとった。インドネシアでは、中国人苦人(クーリー)が1860年の20万人から1930年の123万人と6倍に増加。マレー半島では、鉱山労働者に中国人、ゴム園労働者にインド・タミール人が大量に移入された。

・これらの移入アジア人は、現地社会と融合せず固有の習慣や宗教を保持したため、複合社会ができあがってしまった。また、植民統治では、この移入アジア人を金融と流通機構に登用したため、上部に白人支配層が、次に華僑や印僑などの外来アジア人が、最も人口の多い現地民が最下層の地位におかれるという階層社会を造った。


・この大量の移民政策の結果、例えば、マレーシアでは、マレー人52%、華僑39%、インド人12%という複合民族国家が形成され、戦後も深刻な民族対立の原因となっている。



⑤愚民政策
列強のアジア支配の例として、オランダの350年間にわたるインドネシア支配の特徴を、ASEANセンターの中島慎三郎理事長は次のように分析している。

・オランダの安全と利害に関係ない限り放任し、人民を文盲のままにして各地の土侯(サルタン)を使って間接統治した。徹底した愚民政策をしいたのである。

・才智にたけたアンボン人とミナハサ人とバタック人を訓練し、キリスト教に改宗させて優遇し、警察官や軍人として登用。そして、オランダとインドネシアの混血児を作り中間階級として使い、民族の分断を策した。

・社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア国民の憤慨と憎悪は華僑に集まるよう仕向けた。

・インドネシア人の団結を恐れ、一切の集会や団体行動を禁止した。3人のインドネシア人が立ち話することすら許されず、禁を犯せば反乱罪で処罰された。

・インドネシア国民の統一を阻止すべく、全国各地域で用いられていた320の種族語をそのままにして、一つの標準語にまとめる企ては絶対に許さなかった。



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