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22.19世紀後半から始まった帝国主義とは?


①帝国主義とは、19世紀後半からイギリス・フランス・ドイツ・アメリカ・ロシアなど欧米の列強が植民地を求めて、他国家や他民族を侵略・支配・抑圧する活動や政策を指します。


では何故植民地を求めたのでしょうか?それは19世紀後半に起こった第二次産業革命にその原因があります。イギリス産業革命は第一次で、綿織物工業などの軽工業が中心でしたが、第二次は鉄鋼・機械・石油化学などの重化学工業が中心となりました。


そして、国家戦略の下、金融資本の投融資を得て巨大な設備投資を行い、企業間競争に打ち勝ち、独占企業が生まれていきました。この間、工業製品の市場の確保、原料となる資源原材料の確保、廉価な労働力の確保などを求め、列強は植民地獲得に国力を傾注しました。度々起こる列強間の利害対立は戦争によって決着がつけられました。



②イギリス帝国主義の主な狙い:

・最も重要な植民地であるインドへの海上輸送ルートの支配権を確立する。

そのためにスエズ運河の支配権を獲得し、南アフリカ戦争により、もう一つのルートであるアフリカ回りの拠点を獲得しました。

・アヘン戦争により中国侵略を更に強める。

・中国へのルート確立のため東南アジアを植民地化する。

・アフリカ分割を進める。

・ロシアの南下政策を阻止する。


③ドイツ帝国主義の動向:

・海軍の大拡張:これによりイギリスとの対立が決定的となりました。

・汎ゲルマン主義:全ドイツ系民族の連帯と結集により領土拡大を目指す。

・最終的に、ベルリンーバルカン半島ービザンチウムーバクダッドを接続し中東へ進出することを目指す。

・第二次産業革命に成功し、20世紀初頭にはイギリスを抜き世界2位の工業力を有するようになりました。


④アメリカ帝国主義の動向:

・1898年、キューバの支配権をめぐり宗主国のスペインとの戦争に勝利し、アメリカはスペインの旧植民地であったフィリピン・グアム・プエルトリコなどを獲得しました。

・1899年、大市場である中国分割への参画を意欲し、門戸開放宣言を発表しました。

・第二次産業革命に成功し、20世紀初頭にはイギリス4位・フランス3位・ドイツ2位を抜き世界1位の工業力を有するようになりました。



                          やまとこたろう



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