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21.第一次世界大戦はなぜ起きたのか?

第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけて、ヨーロッパにおいて三国同盟側と三国協商側の間で行われた人類史上初めての世界戦争です。この戦争について概観してみましょう。


1.なぜ、第一次世界大戦は起きたのか?

 ①列強の対立②民族の対立 ③サラエボ事件 


 2.第一次世界大戦の三つの原因

①列強の対立:

・19世紀末の欧米列強は、強力な軍事力・工業力により地球上の到る所で植民地を広げ、アジア・アフリカ・太平洋地域の大半を植民地化した。

・欧米列強が世界を支配した一方で、ヨーロッパ内で互いの利害が対立し激化していった。

・20世紀初めの欧米列強の国際関係は、三国同盟(ドイツ・オーストリア等)と三国協商(フランス・ロシア・イギリス)との間で「武装した平和」と呼ばれる緊張関係が続いた。

②民族の対立 :

・バルカン半島ではオスマン帝国(トルコ)が、隣接するドイツ・オーストリアの進出や、ロシアの南下政策によってクリミア半島を失うなどして衰退していった。

・オスマン帝国の衰退に乗じて、スラブ系・ギリシア系・アラブ系などの諸民族が独立を目指し対立した。

・「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、今でも戦争が勃発しそうな状態となっていった。

③サラエボ事件: 

・1914年オーストリアの皇太子夫妻がサラエボでスラブ系に暗殺される。

・オーストリアはセルビアに宣戦布告。

・ドイツ・オーストリア・オスマン帝国を中心とした同盟国VSイギリス・フランス・ロシアを中心とした連合国との世界大戦に発展していった。イタリアは同盟を破棄し、連合国側に加わる。



3.1914年第一次世界大戦が始まる

・戦争は世界中を巻き込みヨーロッパを主戦場として4年余り続いた。

・塹壕戦で機関銃が大量に用いられたため死傷者数が莫大になった。

・戦車・飛行機・潜水艦・毒ガスなどの新兵器が使用された。

・軍事力、全国民、経済力、技術力など国のすべてを動員して戦う総力戦となった。

・日本は、日英同盟により参戦し、英軍と共同で中国のドイツ権益である山東半島を攻略し、権益を引き継ぐ。

・1917年アメリカの参戦により連合国側が優勢になり、1918年終戦。

・第一次世界大戦での主な国の死者数

連合国側:イギリス908,371人、フランス1,357,800、ロシア1,700,000、セルビア45,000、イタリア650,000、アメリカ116,516、日本300人。

同盟国側:ドイツ1,773,700人、オーストリア1,200,000、トルコ325,000人。



◯私感:火が使えるようになり言葉を持った人類の業ですかね。この大戦の反省を踏まえたはずが、第二次となり、今、第三次が懸念されるようになっています。


エデンの楽園にいて実物の真っ只中で恵まれていながら、ふっと物足りなさを感じ(egoの芽生え)、言葉によって観念が生じ、観念によってこちら(自分)とこちら以外(他者)を認め、こちらの満足のためにこちら以外を思うようにせねばという観念が生じ、その観念を満足させるため走り回っているといったところでしょうか。


侵略してくる悪の相手の攻撃を防ぎ、こちらの平和で幸福な生活を守るためには、近代科学の粋を尽くして相手を退ける人間大量破壊兵器が作らなければならない。人類全体を何度も殲滅できる量の核兵器を人類はすでに持っており、相手のすべての核基地にロックオンされているようです。核先制使用を公言する独裁者も出てきています。日本で核シェルターがほとんど整備されていないのが心配です。紛争は話し合いで解決すべきとシュプレヒコールを上げる人たちのイデオロギーも心配です。


戦争のためのテクノロジーは民生用にも転用され、コンピューターやITのように人間生活に便利で不可欠なテクノロジーとなり、それが地球市場や自由な人間生活を支配するようにもなっているような感じですかね(デジタル監視・コントロール社会)?


私たちは、常に満たされているエデンの園にいる自分に気づくことはもうないのでしょうか?赤ん坊のようにすべてと一体でよろこびそのものである今の様子を完全に忘れてしまったのでしょうか?赤ん坊のように完全な実物に触れる喜びを味わう機会はもう訪れないのでしょうか?


イエスは言われた、「まことに、あなたがたは赤ん坊のようにならなければ、天の国にはいることはできない」。

 

                          やまとこたろう



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