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19−3. 日米関係;日露戦争における英米の立ち位置とアジアへの影響


①日露戦争を少し客観的に眺めると、 ロシア 対 イギリス+アメリカ の構図が見えて来ます。 日本は朝鮮半島へのロシアの南下を阻止するのが国防上の最大の理由でしたが、イギリスやアメリカにとってはロシアの極東アジアにおける強大化を阻止することが主な課題でした。 

当時世界の覇権を握っていたイギリスから見れば、ロシアが好き勝手に領土拡大、それも前途有望視された中国市場に手を出すのを黙って見ていられなかったのですが、世界各地に植民地を持つイギリスは、植民地での内紛鎮圧に精一杯で、とても極東までは手が回らなかったのです。

アメリカはこの頃には新興国から大国になっていましたが、ロシアは依然アメリカを成り上がりものと格下扱いしていました。アメリカとしては、その存在感を世界に誇示する必要性を感じていました。 また、アメリカは、海を隔てた巨大市場である極東アジアにおける権益獲得を狙っていました。

ロンドンとニューヨークでの戦費調達:                  日露戦争の戦費のほとんどは、グローバルに事業を展開する英国と米国の投資銀行により、ロンドンとニューヨークで調達されました。             

英国は当時、圧倒的な経済力を持ち、同国の通貨であるポンドを全世界に流通させ、基軸通貨国として君臨していました。ロンドンの金融街シティは世界中の富が集まる場所となっており、英国はグローバル・スタンダードでした。      

一方、米国は英国を追い上げる新興国としてその存在感を世界に示し始めていた時期で、ウォール街も英国のシティに準じる金融ハブに成長していました。

・高橋是清の役割:                   

高橋是清(のちに蔵相、首相)は、日本の外債発行を成功に導きました。高橋は英国と米国の金融街で世界の投資家に戦争の意義や合理性をアピールしました。英米の金融界もユダヤ系資本が多く、ユダヤ人のアンチロシア感情(ロシア国内でユダヤ人が苛烈な迫害を受けていたことからくる)も幸いし、彼らが率先して日本外債を引受け、日本の外債発行は成功しました。

日本が外債発行によって調達した資金は、その多くがポンドのまま英国の銀行に預けられました。これは英国から購入する兵器の代金を決済するための外貨が必要だったためです。


③アメリカの仲介による講和条約締結:                    国力で劣る日本は、日露戦争開始前から、有利な内に第三国の仲介を受け入れ、早期に戦争を収束させる方針でした。具体的には新興国家として台頭しつつあった米国による仲介を考えていました。当時米国は完全な中立を宣言していましたが、日本は個人的ルートなども使いルーズベルト大統領へ働きかけました。

本の立場に深い理解を示したルーズベルト大統領は仲介の役割を引き受け、翌年にニューハンプシャー州ポーツマスにおいて日露講和会議を開催しました。交渉は難航し何度も決裂しそうになりますが、日本側全権小村寿太郎は粘り強く話し合いを続け、一ヵ月後に漸く講和条約が成立しました。

ルーズベルト大統領はこの仲介の功績で、後にノーベル平和賞を受賞しています。



④日本の勝利がアジアとアフリカに与えた影響:

白人国家最強のロシアに日本が勝利したことは、アジアやアフリカの植民地で隷属状態にあり長く苦しんできている人々に、勇気と希望を与えました。有色人種が白人種に初めて打ち勝ったと大変喜び、自分たちも独立を目指せるんだという強い意欲が芽生えました。

・インドの初代首相ネルーの声:
「小さな日本が大きなロシアに勝ったことは、インドに深い印象を刻み付けた。日本がもっとも強大なヨーロッパの一国に対して勝つことができたならば、どうしてインドにできないといえようか」                        
「インド人はイギリス人に劣等感をもっていた。ヨーロッパ人は、アジアは遅れた所だから自分たちの支配を受けるのだと言っていたが、日本の勝利は、アジアの人々の心を救った」

・ビルマ首相のバー・モウの声:                      「この勝利がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。それはすべての虐げられた民衆に新しい夢を与える歴史的な夜明けだった」

・アメリカのジャーナリストの声:                     「あの海域で、アジアの一小国が、地上最大のヨーロッパの帝国を、わずか一時間たらずでうち負かしたあの勝利は、アジア人とヨーロッパ人には質的なひらきがあるという長いあいだの神話を、永久に破壊してしまった。そして、むしろ、質的な差があるとすれば、アジア人のほうに分があるとさえ、この勝利は示唆したのである」

                          やまとこたろう



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