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番外編:「世界に太平の春が訪れんことを!」 永平寺貫主様の新年の祝詞を転載します

 皆さまがご無事で令和六年甲辰キノエタツの新年をお迎えのことを御祝詞申し上げ、併せまして皆さまの身心安寧アンネイ諸縁吉祥キチジョウを祝祷シュクトウ致します。老衲ロウノウ、図らずも九十七度目の新年を迎えさせて頂きました。この歳ともなりますと我が身命を後進の修行僧の為に、世間の為に役立てたいと、祈るような思いで毎日を過ごしております。


 しかし、役立てたいとは願いましても、世界で起きている諸問題の前では、己の無力さに恥じ入るばかりです。戦闘や紛争の中で戦闘員ばかりか無辜ムコの市民や子供の命までもが、余りにも軽く失われております。何故、世界中の人々が共に幸せに、安楽に暮らせる世とならないのでしょうか。平和を目指す人々が、なぜ武器に解決を求めるのでしょう。


 パレスティナ問題となりますと、その歴史、民族や宗教の差違、双方に譲れない正義や信仰があり、第三者が問題の当否を裁定することは叶いません。当否の裁定は叶いませんが、阿鼻叫喚アビキョウカンの地獄絵図と化してしまったガザ地区の惨状を思えば、戦闘という行為に対する是非善悪は明瞭です。武力による解決などあってはならないのです。


 お釈迦様は、欲望こそが苦悩の根源であると看破カンパされました。貪欲トンヨクは自己中心的です。願いは個人を超えて家族、地域社会、民族や国家が共有しますが、ややもすると他者の願いと対立します。

 

 仏教は「誓願セイガン」を説きます。誓願は誰一人余さず、全ての人と幸せになろうと誓い願うことです。今、世界が共有すべきはこの誓願ではありますまいか。欲望の自己を超え、地域、国家、民族のエゴを超え、分かち合い、励まし合い、尽くし合い、心を一つに、共に太平の春を望む誓願に生きようではありませんか。       至祷シトウ至祷(心から祈る)

 

                 やまとこたろう


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