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8−2.世界宗教である仏教と出会い、日本ではどうなったでしょうか?

 前回の英国に続き、日本ではどうだったでしょうか。

538年、欽明天皇の御代に百済クダラの聖明王から仏像・仏典等が伝えられました(仏教公伝)。                               

欽明天皇は群臣に対し「西方の国々の『仏』は端厳でいまだ見たことのない相貌である。教えは非常に深いものである。これを礼すべきかどうか」と意見を聞かれました。

これに対して蘇我氏は「西の諸国はみな仏を礼しております。日本だけこれに背くことができましょうか」と受容を勧めたのに対し、物部氏は「わが国の王の天下のもとには、天地に神々がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります」と反対しました(崇仏・廃仏論争)。蘇我氏物部氏の対立が激化し、蘇我氏の勝利に終わりました。                   

仏教に帰依し深く学ばれた聖徳太子は、自ら『法華経ホケキョウ大乗仏教を代表する経典)維摩経ユイマキョウ(悟った在家者が説いた経典)勝鬘経ショウマンギョウ(悟った女性が説いた経典)の注釈書(日本人による最初の著作)を著わし、初代女性天皇推古天皇(叔母に当たる)にも講義されるほどでした。

一方、群臣同士の争いを深く憂い、万民が相和する国を造っていくための根本理念として「和をもって貴しとなす」で有名な『十七条憲法』をつくり日本の国柄の骨格を定められました。

大乗仏教(菩薩が他者を救う教え)を国の根本思想と定め、天皇を始め自身も全役人も菩薩としてすべての人々のために奉仕する国づくりを理想とされたのです。

法隆寺(現存する世界最古の木造建築)、四天王寺、 広隆寺などを建立し、インフラ整備・都市計画・医療救済事業などを推進され、医薬・医療・絵画・彫刻・土木・建築など諸学問の基礎をつくられました。

太子が622年に49歳で亡くなると、残された太子一族を蘇我氏が攻め滅ぼしました。

その時長男の山背大兄王(やましろのおおえのおう)は、防戦を勧める臣下に対し、「自分のために万人を戦に巻き込んで悲しみを与えたくない。戦いに勝って益荒男マスラオだと言われるよりも、自分を捨てて国を安らかにする道を選びたい」と言われ、一族は全員法隆寺に集まり全滅しました。

昔、マガダ国に攻め滅ばされたシャカ国のシッダールタ皇太子であった釈尊の言葉、「怨みは、怨みを捨ててこそやむ」を彷彿とさせます。

向かって太子の右側に立っているのが、山背大兄王です。もし太子一族が戦っていたら、その後の平和な日本とならなかったかもしれませんね。感謝合掌

                        やまと  こたろう

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