前回から続いて聖徳太子の独白です:
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お釈迦様、あなたが、
◯「天上天下テンジョウテンゲ、唯我独尊ユイガドクソン」:
大宇宙の中で、私は最も尊い存在であり、すべてのいのちはそれぞれみな同じように最も尊い存在である。
◯「山河草木サンセンソウモク、悉皆成仏シッカイジョウブツ」:
山も河も草も木も天地のすべてのものは、みな大宇宙のはたらきの現れである。
◯「一切衆生イッサイシュジョウ、悉有仏性シツウブッショウ」:
すべてのものは、万物をかくあらしめているはたらきの現れであり、すべては尊い存在である。
◯「山河大地センガダイチ、皆依建立カイエコンリュウ」:
山も河も大地も大自然のすべては、万物をかくあらしめるはたらきによってつくられているのである。
と獅子吼シシク(ライオンのようにほえること)された時、
万物をかくあらしめているはらきを、ある時は仏と呼び、ある時は神と呼ぶが、神仏は同じはたらきの現れであることに気づかせていただきました。
自己が仏である、自己が神であるという真の自己のありようを、観得させていただきました。
あなたの哲理と言葉から、神代以来の私たちの宗教観と価値観が言語化できることを、私は学びました。
言語化することによって、この共同体のありようを明確にし、共同体の人々と理解を共有し、必要な制度をつくり、産業を起こし、
この共同体の安定と独立を確実なものにしていく道を、私は見出すことができました。
ありがとうございます、合掌・・・
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◯私感:人間を超えた甚深微妙の真理を釈尊が人類で初めて自覚し、東海の島国の聖徳太子がその同じ自覚を得たことは、その後の日本と世界にとり大変幸いなことだったと思います。
その真理の自覚から『法華経ケキョウ』(大乗仏教を代表する経典)『維摩経ユイマキョウ』(悟った在家者が説いた経典)『勝鬘経ショウマンギョウ』(悟った女性が説いた経典)の高度な注釈書(日本人による最初の著作)が太子によって著わされたのですね。
西洋・シナでは絶対王政が権力をほしいままにし戦争を繰り広げ、民衆が激しく搾取されていた時、転輪聖王のような聖徳太子に釈尊の甚深微妙の真理が伝わり、東海の島国で平和で豊かな民の生活が可能となるシステムができていくわけですね。ありがたいことです。
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聖徳太子と仏教の出会いが日本の礎を築いたのですね。幸いなことです。
返信削除ところで、「宗教観と価値観が言語化」という言葉を見て「聖徳太子の時代に『宗教』という概念はあったのだろうか。あったとしても現代人にとってのそれと大きく異なっていたのではないか」という疑問を持ちました。もしかしたら、「宗教」という言葉は「科学」と対になって生まれた言葉ではないかとも。
コメントありがとうございます。あなたの疑問に触発されて私も少し考えて見たいと思います。
返信削除言語化とは概念の言語化であり、そのこと自体と概念と言語との間に乖離があることは止むを得ないことですね。だから、おっしゃるように、現代人がつまりあなたが理解されている「宗教」という概念はなかったかもしれませんし、あったとしても現代人のそれと大きく異なっていたと私も思います。古代日本人は概念化された世界つまり都市化された世界に住んでおらず、そのこと自体の世界つまり自然と渾然一体となった世界の中に生きていたと思われます。そのため、古代日本人が「言挙げしない」国柄と言ったのはそのあたりの消息かもしれませんね。
もう一つのポイント「「宗教」という言葉は「科学」と対になって生まれた言葉ではないかとも」は、人間の概念化の仕組みを物語っていますね。人間は、上と下、右と左、大と小、良と悪などと認識します。この二項を相対して認識することが、概念化の一つのパターンと考えられます。釈尊と聖徳太子はこのような二項相対の概念認識を超越され、そのお蔭で法(真理)が日本に伝わったと私は考えています。
あなたの疑問で考えを整理することができました。ありがとうございます。