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3.ユニークな日本文明のベースとなった、一万年以上続いた縄文時代について考えてみることにします

 一つの文化が続いた世界で最長の時代は、約16,000年前〜約2,500年前まで13,000年以上続き、世界遺産登録された縄文時代だと認定されています。研究者は、「もう一つ注目されるのは、狩猟採集を基盤としていたにもかかわらず、基本的に定住生活をしていたことである。縄文人は、食料を多様な動植物から計画的に摂取することができるようにした可能性が高い(例えば、遠洋航海による捕鯨)。定住することで、縄文人は、社会全体で技術を進化させ知識を蓄積していき(例えば、旬の食べ物を記した縄文歳時記)、深淵な祭祀や儀式を持つ高度な文化の発達へとつながった」と言っています。短い労働時間で必要な食料を得、高度で芸術性の高い縄文土器を造り、心豊かな生活を享受し、一万年以上にわたって高度な独自文化が育まれていったのではないかと考えられます。

 

縄文時代の集落では墓地が中央部にあり、縄文人はご先祖さまを大切にしご先祖様に守られながらご先祖様と一緒に生きていたと考えられます。一般的に、発掘された人骨が貝殻製の装飾品で飾られていると、女性と判定されます。男性が、愛する女性を想いながら、綺麗な貝殻を長時間かけてすべすべに磨きあげ、愛する女性に捧げ、女性はその愛を受け取り、それを大切にし、共に暮らし家族を授かり育み、死ぬ時、来世での再会を願いつつ、その装身具を身につけて埋葬されたのではないかと想像されます。時空を超えた人間の愛の永遠の輝きですね。また、発掘された人骨などから、戦争の痕跡は発見されておらず、人間を殺傷する戦争がなかったことも、縄文時代の大きな特徴だと言われています。

 

このような人間の愛と平和の時代が、一万年以上も続いたとしたら、なんと素敵なことではないでしょうか。大量殺戮が止むことがない現代からみれば、奇跡的な愛と平和の時代であったようです。人との争いを好まない日本人の「和」の心の淵源は、このような平和な縄文時代にあったのではないでしょうか。

 

参考youtube縄文時代の素敵な生活

 www.youtube.com

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