七世紀頃の英国と日本の政治について比較してみることにします。英国に成文化されたものがありませんが、日本に十七条憲法があります。
◯七世紀の英国の政治についての私見(不明では、比較もできませんので):
イングランドを、アングロサクソン人の七王国が支配していたこの頃は、絶対王政の萌芽期であったと考えられます。アングロサクソン王の戦闘
「王は領土と人民の生命財産をほしいままにできる権限を神から与えられており、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」と王が、武力を依り所に主張していたようです。
その後、12世紀にイングランド国王ヘンリー1世が、超自然的霊的治癒力獲得を理由にローマ教皇からの王権の独立を主張しました。
16世紀に王権神授説として理論化され、長らく「神の代理人」とされてきたローマ教皇の権威・権力からの王権の独立と、人民に対する絶対的根拠とされました。代表的な論者に、フランスのボダンやボシュエ、英国のフィルマーなどがいます。
〇日本では、豪族間の対立と、シナ大陸を軍事統一した隋の脅威があり、国をまとめ、独立を維持することが急務でした。そのために、聖徳太子が、604年に十七条憲法を制定し、象徴天皇を中心とした万民平等の国の「しらす」政治の具体的内容を成文化しました。
もしこの時、聖徳太子の一連の諸施策が効果をあげなかったとしたら、日本は軍事力により権力が奪取される「うしはく」統治の国に激変させられ、数万年にわたって培われてきた平和で世界で最もユニークな日本文明が破壊され、民は権力者にほしいままにされ、日本人の高い道徳性も破壊され、今の日本とはまったく別の国柄と民衆となっていったでしょう。あらためて、聖徳太子様と今日までの多くのご先祖様方のお骨折りに感謝します。
十七条憲法の内容については、私自身も不勉強で「和をもって貴しとなす」ぐらいしか知りませんでした。このブログを書くようになったおかげで、十七条憲法の精神が、明治天皇の五箇条の御誓文、明治憲法、昭和天皇の新日本建設に関する詔書、日本国憲法を通底していることを知りました。
十七条憲法は、今も有効であり、今日の日本を動かしている根底にあり、また日本のリーダーたちがこれまでどのように考えてきたかを知り、将来の日本を考えていく時に、基礎にすべきものだと学びました。
つきましては、十七条憲法の各条を現代語訳しながら、数回にわたって皆さんとご一緒に学んでいきたいと思います。きっと皆さんのお役に立つと思いますので、おつきあいください。
やまと こたろう
ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。
↓ ↓
十七条の憲法が現代にも影響を及ぼしているということは知りませんでしたし思いも寄りませんでした。気づきをいただきました。ありがとうございました。このような現代へのつながりを学校の歴史の授業でも学べると、きっと楽しいでしょうね。
返信削除長袖父さん 素敵なコメントありがとうございます。今の日本の教育の現状からすると難しそうですが。
返信削除