前回の中世イギリスに準じて、中世日本について俯瞰してみます。
①中世日本の全体像:
平安時代後期の12世紀から戦国時代の17世紀までが、日本の中世と定義されています。1192年、源頼朝が征夷大将軍に任命され最初の武家政権となった鎌倉幕府が成立しました。政治権力が朝廷から武家に移行しました。
超大国の侵略いわゆる元寇がありましたが、その国難を乗り越え、皇統が分裂した南北朝時代を経て、室町幕府が成立し、室町幕府が衰退すると、群雄が割拠する戦国時代となり、織田信長による再統合(天下統一)へと向かいました。
②鎌倉時代12世紀末〜14世紀:
源氏は源平合戦で勝利し平氏政権を打倒し、征夷大将軍に任ぜられ鎌倉幕府を開き、守護・地頭設置を認められ、朝廷と並ぶ政権へと成長していきました。ちなみに、源平合戦の時、源氏は白地に赤丸の旗、平氏は赤字に金丸の旗を掲げて戦い、勝利した源氏の旗が日本国旗の元となりました。
その後、御家人筆頭である北条氏が幕府政治を実質的にリードする執権政治が成立しました。13世紀前半、朝廷と武家政権の初めての武力衝突となった承久合戦に勝ち、武家政権が優位となりました。
ユーラシア大陸の大半を支配した超大国モンゴル帝国が、高麗・南宋も従属させ、13世紀後半クビライ皇帝は、日本との通商を求め使節団を送り、それに対し執権北条時宗は朝廷に外交交渉を依頼する一方、九州北部沿岸の防衛体制を強化し蒙古襲来に備えました。
当時の世界最大隻数の元・高麗合同艦隊を送り込み、対馬・壱岐を侵略し住民を殺戮し奴隷とし、九州に上陸し、集団騎馬戦法、大砲などにより圧倒し、多数の住民を殺戮し奴隷としました(元寇)。
九州を中心とした鎌倉武士団の獅子奮迅の働きと台風と日本海と祈りにより幸いにも撃退することができました。国家存亡をかけた大戦を通して、日本の国土国民を守るべく朝廷・武家・宗教界・民衆の心が一つになり、戦い、祈った結果、撃退できました。そして、日本の国土国民という意識が醸成されていったと思われます。
もし破れていたら、京都・鎌倉にまで攻め上られ、朝廷・幕府は壊滅し、公家・武家・民衆は殺戮され或いは奴隷として大陸に拉致され、元・高麗連合軍に支配され、縄文以来培われてきた日本文明は破壊され尽くされ、今日のような日本にはならなかったと想像されます。悪夢ですよね。
一方、宗教的天才が多く輩出されました。それまでの鎮護国家を主眼とする仏教から、衆生済度シュジョウサイド(生きとし生けるものを救うこと)を主眼とする新仏教が誕生し、武士や民衆の間に広まっていき、現在、日本にある13宗が全て出揃うことになりました。
成立の古いものから、奈良時代に法相宗ホッソウシュウ、華厳宗ケゴンシュウ、律宗(戒律)、平安時代に天台宗(最澄:法華経)、真言宗(空海:密教)、融通念仏宗、浄土宗、そして鎌倉時代に浄土真宗(親鸞:南無阿弥陀仏)、時宗、臨済宗(栄西)、曹洞宗ソウトウシュウ(道元)、黄檗宗オウバクシュウ、日蓮宗(日蓮:南無妙法蓮華経)です。
これに伴い識字率も向上しました。
次に南北朝に続きます・・・
やまとこたろう
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日の丸の起源、知りませんでした。勉強になりました。
返信削除長袖父さん コメントありがとうございます。運動会の紅白対抗や大晦日の紅白歌合戦もこのような背景があったのかもしれませんね。
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