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11-1-1 キリスト教と世界:迫害、国教化、十字軍、植民地

次に、キリスト教と世界の関わりについて調べてみようと思います。


①ローマ帝国によるキリスト教迫害、1〜4世紀:

キリスト教がローマ帝国内で広まるにつれて、キリスト教徒はローマ帝国の多神教や皇帝崇拝に反対することで、異端者や反逆者とみなされるようになりました。ローマ帝国は1世紀から4世紀にかけて、断続的にキリスト教徒を迫害しました。ローマのコロッセウムでキリスト教徒をライオンに襲撃させる見世物が、民衆を最も狂喜させたと言われていたようです。


 ②ローマ帝国によるキリスト教の国教化、4世紀:

迫害にもかかわらず、キリスト教徒は信仰を守り続け、むしろ増加していきました。そして、北方のゲルマン民族大移動により、ローマ帝国が弱体化していく中で、ローマ皇帝はキリスト教を公認し、キリスト教以外の宗教を禁止し国教化しました。これはローマ帝国を維持するために、キリスト教の唯一絶対神による権威付けと、キリスト教徒の支持獲得を必要としたためと考えられます。


③ローマ教皇による十字軍派遣、11〜13世紀:

ローマ教皇は、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することを大義名分に、十字軍従軍兵に天国行きを約束し、十字軍派遣を呼びかけました。それに応え十字軍は侵攻し、イスラム教徒等の大量虐殺・強奪等を7回にわたり繰り返しました。


④西洋列強とローマ教皇によるアジア・アフリカ・アメリカ征服、15〜17世紀:

ローマ教皇が、15世紀にポルトガル国王に与えた特権の抜粋です。

「キリストに敵対するいかなる者をも、襲い攻撃し、敗北させ、屈服させた上で、彼らの王国、主権、支配、不動産を問わずあらゆる所有物を奪取し、その住民を終身奴隷におとしめる為の、完全かつ制約なき権利を授与した。」


未開の異邦人たちにキリスト教を布教し改宗させ救ってやり文明化してやりたいとするローマ教皇と、西洋列強の利害が一致し、両者の共同作戦となりました。ローマ教皇は航海船に必ず説教師を同乗させました。到着地では、宣教師は現地の指導者に近づき、住民の布教活動を行い、現地情報を収集し報告する、商人により奴隷貿易を含む交易を行う、頃合いを見て指導者に改宗を勧め、拒否されると、軍隊が派遣され大量虐殺を行い征服し植民地化しキリスト教国化するというのが基本戦略でした。


植民地では、大規模農園耕作や鉱山開発のために住民に奴隷労働を強制しました。軍隊による大量虐殺と、苛烈な奴隷労働と、西洋人が持ち込んだ疫病とで膨大な数の住民が死亡しました。当初、南アメリカ全体で4千万人〜1億人いたと推定される原住民が1千万にまで激減したという情報もあります。労働力不足を補うため、全体で8千万人とも言われるアフリカ人奴隷を大量に送り込み、奴隷・食料・鉱物貿易により、巨万の富を獲得していきました。


ポルトガルとスペインによる領土獲得競争の激化を懸念したローマ教皇の調停により、両国による世界支配の境界線が設定されました。インカ文明とアステカ文明が絶滅され、現地語が殆ど生滅し、ブラジルがポルトガル語、それ以外がスペイン語となった背景にはこのような歴史があります。


第一次世界大戦前には、地表の85%が西洋による植民地となりました。植民地支配を免れたのは、日本と、英仏の緩衝地帯としてのタイだけでした。そして、新大陸はすべてがキリスト教国となり、現在キリスト教は世界人口の3割超を占める世界最大宗教となっています。

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