1〜10世紀の日本の代表的な文学作品と簡単な内容は以下の通りです。
・1世紀:漢字が最初に日本に伝わりました。「漢倭奴国王」の金印等が証拠です。
・2世紀〜4世紀:口承文学が生まれましたが、現存する資料はありません。
・5世紀:話し言葉に漢字を当てはめた万葉仮名が生まれました。
・7世紀:聖徳太子により『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経の注釈書が
漢文体で著されました。
万葉仮名で書かれた日本最古の和歌集『万葉集』が8世紀にかけて編纂されました。
4500首以上収録されています。
・8世紀:天皇中心の氏族伝承が記され、『古事記』『日本書紀』が編纂されました。
これらは「記紀」と呼ばれ、神話・歴史・歌謡・和歌を含む日本文学の基礎となりました。『古事記』は万葉仮名で、『日本書紀』は漢文体で書かれています。
諸国の地理や物産、地名などに関わる伝承を記録した『風土記』が成立しました。
これは『古事記』『日本書紀』を補う資料として注目されます。
日本最古の漢詩集『懐風藻』が編纂されました。また、『続日本紀』が編纂されました。
・9世紀・『竹取物語』や『伊勢物語』などが書かれ、日本最古の長編物語の
『宇津保物語』が書かれました。『日本霊異記』も書かれました。
・10世紀:『古今和歌集』が編まれ、和歌の発展に大きく寄与しました。『枕草子』や『土佐日記』などの随筆が書かれ、女流文学が隆盛しました。
『源氏物語』が著され、日本文学の最高傑作として世界的にも評価されています。
◯私評:『万葉集』は、天皇や貴族だけでなく、下級官人や農民、防人、一般女性などさまざまな身分や地域の人々により詠まれました。
万民平等のシラス統治の精神が具象化されたものとも言えるでしょう。
この精神は歌会始めとして今日まで伝わっています。
当時、地方に派遣された国司は、地方豪族の師弟などに『日本書紀』と『万葉集』を
講義し信頼関係を醸成し、武力ではなく文化力により朝廷の権威が地方に浸透していったと考えられます。
当時の西洋では文字使用は特権階級の男性だけに限られていたようで、
多くの一般庶民がいつ文字を使って文学作品が書けるようになったのか
確かな情報がネット上にありません。
どなたかご存知の方がおられれば教えてください。
やまと こたろう
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