ここで、古代日本が目指した「しらす」政治と、古代西洋・シナの「うしはく」政治の特徴を比較してみましょう。
漢字:しらす(知らす、添らす、治らす) うしはく(主佩く)
定義:民の様子を知り、民に寄り添い、 主人として土地と民を私有し、 世が治まることを願い祈る ほしいままにする
権威と権力の分離:有り 無し
権威:神代までつながる天皇のありよう 王は権力等で権威獲得を目指すが?
権力:天皇が適任者に権力を親任する 王が権力を直接独占する絶対王政
意志決定:神代以来の皆で話合い 独断
暴走:権力者の暴走は天皇が抑制 王の暴走は抑制不可能
奴隷:なし(万民は大御宝) あり(社会的必需品)
格差:小 大
該当国:日本 西洋・シナ
それぞれの特徴は、それまでの民族の歴史によって形成されたものです。その後今日に至るまでの歴史を通底することになるのです。
では、また、聖徳太子の独白に戻ります:
お釈迦さま、天皇は民と国土の所有者ではなく、天照大御神アマテラスオオミカミから万民の安全と幸せを付託された者です。国民統合の象徴である天皇が、民を知り、民の幸せを祈り、民に奉仕する「しらす」政治を、この国の国柄として明確にしようと思います。
お釈迦様、どうかこの国の民をお守りください、私たちをお導きください。
この独白の後、太子は、仏教興隆の詔、十七条憲法、官位十二階、随との外交、大陸文化活用、寺院建立、インフラ整備、医療事業、文化学問振興などなど、順次、今日の日本の根幹をつくっていかれました。
そして、太子がつくられた国づくりの理想は、代々の天皇に脈々と受け継がれてきています。
例えば、今上キンジョウ天皇が即位大礼の時にお召になられた御着物が、広隆寺の聖徳太子像にお着せになられています。
歴代の天皇も同じようにされてきており、太子の理想を大切にされておられる一つの証アカシでしょう。
また、昭和天皇の辞世の句には、聖徳太子に至り更に天照大御神に至るまでの無窮の深みがあるように私には思われます。 「堀の蓮ハチスの華ハナみつつ仏の教え思う朝かな」
(最晩年の年、皇居のお堀の蓮華の華をご覧になって詠まれたものと拝察されます。敗戦を乗り越えられた昭和天皇のお心の無量の思いが察せられ、胸があつくなります。)
聖徳太子は、庶民にも大変崇敬され、太子はお釈迦様の生まれ変わりだ、観音菩薩様だと、庶民の信仰の対象にもなりました。
大工をはじめ、建築関係の職人の守護神として崇敬され、職人が集まる太子講などの場において篤く祀られています。
また、太子信仰は法隆寺と四天王寺を中心に日本仏教と共に発展してきました。また地方の風習と融合した土着化や神社での祭祀、太子講など多様な信仰が生まれ現在まで受け継がれてきています。
やまと こたろう
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