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6.アインシュタイン博士と天皇

 1.アインシュタインの予言というものが世に流布しています。

「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。

この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。

果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。

この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。

私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。

なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。

その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。

この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。

世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。

それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。

吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。」

 

2.日本の皇室が、この予言にある「武力や金力でなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた、最も古くまた尊い家柄」となった根本原因を、西洋・シナの王朝との比較で考えてみます。

○西洋・シナの王朝:国王は絶対権力者として民衆を所有し、独裁的に支配し統治する。絶対王政、ウシハク統治。

○日本の皇室:天皇は権力を持たず、その時々の太政大臣・征夷大将軍・総理大臣等に権力を親任し、権力者は天皇の大御宝オオミタカラである民衆のための統治を行う。権力を持たないが神代からの権威者である天皇は、国民統合の象徴として民衆の安寧を祈り行じる。象徴天皇、シラス統治。

このように、権威者と権力者が分離されたことが、日本皇室が世界最古の王朝であり続けている根本原因だと考えられます。

ウシハク統治とシラス統治については、次の動画(10分)でわかりやすくまとめられています。よかったらどうぞ。

ウシハク・シラス統治

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