聖徳太子の独白が続きます:
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お釈迦様、今、この国は、二つの危機に直面しています。豪族間の権力闘争と、シナ大陸を統一した軍事大国隋の脅威です。(隋の脅威に立ち向かう聖徳太子。)私には、天照大御神から付託されたこの国の民を守り、幸せにする責務があります。
元来、わが国は神のお心のままに存在しており(神ながら)、人は自分の考えを言葉に出して言い立てない(言挙げしない)国ですが、
国内安定と独立維持を達成するために、お釈迦様の哲理により、神々の伝統を昇華させ、国づくりの理念を成文化する(言挙げする)必要があります。
そのキーワードは菩薩ボサツです。他者を救うために一身を投げ出す菩薩です。
天皇は単なる権力者でもなく、神話による支配者でもありません。かつて、神武天皇が建国の詔を出されたとき、「天皇の任務は、国の大御宝オオミタカラである民のために奉仕し、民のために一身を投げ出すことである。それ以外にはない。そうでなければ、天照大御神の付託におこたえすることはできない。」と言われました。
これが国づくりの根幹である「しらす」政治です。天皇は権威はあるが権力を持たず、国の大御宝オオミダカラである民の様子を知り、民の幸せを祈り、民に奉仕することを任とする。
権力は時の適任者に親任し、大御宝である民のための政治を担わせる。この「しらす」政治を国のグランドデザインとしていこうと考えています。
お釈迦様、どうかこの国の民をお守りください、私たちをお導きください。
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随の脅威に対抗するために、倭国も近代化する必要があり、仏教がその礎となっていたということでしょうか。当時、軍事的に対抗せねばならなかったということですよね。そのためには、有力豪族によって各地が支配される倭国から、天皇を中心とした中央集権社会的な倭国に転換する必要があったのではないでしょうか。ちょうど明治維新のときのように。古事記や日本書紀が編纂される前ですから、天皇の正統性を示す何かが求められていた。そこに仏教がぴたりとハマったのではないでしょうか。仏教が初めて倭国にルールを明文化するという文化を持ち込み、そのルールメーカーである天皇に正統性が認められていったのではないかと想像しました。
返信削除長袖父さん 含蓄のあるコメントありがとうございます。縄文以来培われてきたものが少しずつ形を現していくような感じがしています。これからもよろしくお願いします。やまとこたろう
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