福沢諭吉は朝鮮の近代化に力を貸し、時には自分の命を危険にさらしても、朝鮮の近代化を支援しようとしたにもかかわらず、裏切られ続けることになりました。「脱亜論」というのは、支援し続けているにもかかわらず、一向に近代化する気配すらない朝鮮に対する福沢諭吉の諦め、いわば敗北宣言のようなものです。では、 福沢諭吉の「脱亜論」の中身に入っていきましょう。 ①昔に比べて交通の便が非常によくなり、世界中いたるところに白人の力が及んでいる。しかし、これは白人の人格が昔に比べて素晴らしくなったということではない。近代文明の力である。もし、日本が近代化を嫌がって幕府のままでいたなら、白人によって植民地にされていたであろう。しかし、日本人は、日本がなくなってしまっては幕府もくそもないってことで、天皇陛下の権威によって新政府を立て近代化を実現することができた。 しかし、不幸なことに日本には、中国と朝鮮という隣国がある。二国とも日本と同じように東アジアに属している。しかし、人種の違いか、教育の違いか分からないが、日本との考え方は余りにも違いすぎる。 ②近代文明の脅威を知ったにもかかわらず、過去にこだわり続ける中国や朝鮮は、千年前と変わらない。弱ければ侵略されるこの時代に、教育と言えば儒教にこだわっている。しかも儒教道徳は知識だけで行動が伴っていない。道徳?何それおいしいの?ってレベル。 現実を見れば彼らの言うことに科学的根拠はなく、国際法は平気で無視する。そればかりか、自分のことは棚に上げ、国際的な場で、「すべてお前が悪い。俺は悪くない」と開き直り、責任を他者に押し付けるだけで、反省などまったくしないから進歩がない。 私が思うに、日本の明治維新のように改革の志士が現れて、政治と国民の考え方を根本から変えるような奇跡が起こらない限り、独立を維持することは不可能である。おそらく、数年の内に白人たちによって侵略されていくだろう。 ③こんな状況の中国・朝鮮は日本の安全保障のためには何の役にも立たない。それだけでなく、白人の目から見れば、日本は中国・朝鮮に近いというだけの理由で、彼らと同じように見られてしまう危険すらある。彼らが独裁国家であれば日本もそう思われ、彼らが平気で国際法を破れば、日本も似たようなことをすると思われてしまう。このことが日本外交の障害になったことも多い。 だから、日本は中国・朝鮮が...