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26−1.大東亜戦争が切っ掛けとなり、白人種による有色人種の植民地支配が終わりました

◯白人国家によるアジア・アフリカの非道な植民地支配により、殺戮・収奪・飢餓などが数百年続き、それはまさに有色人種にとり生き地獄でした。しかし、日本民族が白人至上主義の世界支配体制に抗して立ち上がりました。その大東亜戦争が切っ掛けとなり、アジア諸国民が「自分たちもやれる!」と奮い立ち、植民地支配の地獄を打ち砕くことを決意し、白人国家からの独立を自らの血と汗と涙で戦いとることになりました。その経緯を見てみましょう。


◯産業革命を経て強力になった白人国家の技術力・経済力・軍事力により、日本は、200年余の平和(鎖国)を強引に破られ、有史以来最大の植民地化の危機にさらされました。日本は、内部抗争を乗り越え、天皇を中心とした国家体制を構築し、各方面での近代化を推進し、産業革命を成功させ、富国強兵を実現しました。

当時ロシアは、満州を清国(満州民族が漢民族を支配した王朝)から奪い、シベリア鉄道を満州まで開通させ、更に南下し朝鮮半島を狙い、日本の最大の軍事的脅威となっていました。満州更には朝鮮半島へのロシアの進出を阻止するため、日本は大国ロシアとの戦争に踏み切りました。陸戦と史上最大規模の近代海戦で勝利し、満州からロシアを一掃しました。

有色人種の小国日本の白人種の大国ロシアに対する戦争勝利は、白人至上主義の世界秩序への強烈な一撃となり、多くの白人至上主義者たちは、自尊心を傷つけられました。有色人種唯一の近代国家日本の軍事的台頭に脅威と憎しみを感じ、白人諸国は、日本たたきを強化していくことになりました。


◯日本は、第一次世界大戦後のパリ講和会議において、五大国の一国として、人種差別撤廃を提案しましたが、植民地喪失と人種差別撤廃を恐れる米英の反対で否決されました。

そして、白人至上主義者たちの「日本憎し」の人種差別感情は強まり、日本たたきを一層強化していきました。特に、米国は、太平洋全域を我がものとした後、シナ大陸における利権を求め、その邪魔となる日本との戦争は不可避と考えていました。そのため米国は、対日戦争準備計画を改定しながら、日本を対米戦争へと追い込んでいくべく様々な画策を続けていきました。

米国は、満州の利権の半分を日本に要求し、日本は断りました。次に米国は、人種憎悪から日系米国人の財産を没収し、強制キャンプに拉致収容(ナチスによるユダヤ人強制収容と同じ)し、日米間の緊張が高まっていきました。最終的に、米・英・蘭・中による日本経済完全封鎖にまで追い詰めました(戦争最後通牒)。


◯坐して死を待つわけにはいかない日本は、敢然として立ち上がり、自存自衛・アジア植民地支配開放・人種差別撤廃のため、10倍以上の国力を持つ米国と戦いました。その間に、日本は、長く東南アジアを植民地支配してきた英・仏・蘭・米軍を排除しつつ、アジア諸民族に独立のための軍事訓練などを施しました。その間に独立したアジア諸国などが、大東亜会議(歴史上初めての有色人種による国際会議)を日本で開催し、アジア・アフリカ植民地独立にとり画期的なものとなりました。

米国は、「非戦闘員は攻撃してはならない」と規定しているハーグ国際条約を無視し、人種憎悪から、非戦闘員大量虐殺(ジェノサイド)である都市空爆と、人体実験でしかない原爆投下を蛮行しました。日本は、もはやこれは国際法の規定する戦争ではないとして、終戦を決断しました。


◯日本は、310万人余の尊い命が犠牲となり、米国との戦争に負けましたが、アジア植民地支配開放という戦争目的は達成されました。その後、アジア諸国は次々と独立し、中東・アフリカ諸国の独立へと広がり、大東亜戦争前44カ国だった独立国が、現在198カ国にまで増えました。

一方、植民地からの富の収奪により成立していた世界に冠たる大英帝国は、植民地をなくし瓦解することになりました。

               やまとこたろう

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