アヘン戦争は、1840年アヘン密貿易をめぐって行われたイギリスの清に対する侵略戦争です。イギリスは清朝政府のアヘン投棄を口実に開戦に踏み切り、勝利することによって南京条約を締結し、香港の割譲などの権益を得ました。これが西洋帝国主義勢力による中国侵略の第一歩となりました。
産業革命によって工場労働者にお茶を飲む習慣が広まったイギリスでは茶の需要が増大し、茶の輸入が増加しました。しかし、清ではイギリス産品は売れず、イギリスは大幅貿易赤字になりました。イギリスは輸出入で出た差額を銀で支払わなければならず、大量の銀がイギリスから清に流出していきました。
因みに、産業革命による工場排水の悪影響からイギリスの水質は悪く、とても飲めたものではありませんでした。そのため工場労働者は水の代わりにビールを飲んでいましたが、労働に適した飲料ではありませんでした。そこにお茶が入ってきたのです。お茶に抗菌作用と覚醒作用があることから、工場経営者もお茶を飲むことを促進し、工場労働者の間にお茶を飲む習慣が広まっていったのです。
◯イギリスの銀の流出→三角貿易で回収をはかる:
イギリスは清から銀の回収をはかるため、3億人の巨大な清国市場に参入するため、清国内のアヘン吸飲の習慣に目をつけ、イギリス植民地のインド農民にケシを栽培させ、ケシから採ったアヘンを清へ密輸し始めました。イギリスが大量のインド産アヘンを清に密輸した結果、清ではアヘン吸飲が広がり、アヘン密貿易が増えました。そのため、アヘンの対価として茶だけでは足りず、清はその差額を銀で支払うようになりました。今度は逆に清から大量の銀が流出するようになったのです。銀の大量流出は銀の価値を暴騰させて清の経済を混乱させるとともに、清をますます弱体化させていきました。
◯清のアヘン取締まり→アヘン戦争:
このような状況下、清朝政府はアヘン取締まりのために林則徐を広州に派遣しました。林則徐は広州でアヘンを没収し廃棄させ、アヘン貿易を厳禁しました。この清朝政府の対応を口実にして、イギリスはアヘン戦争(1840〜42)を起こしました。
◯南京条約:
産業革命を経たイギリスの近代的軍事力に圧倒され、清朝政府はイギリスに完敗し、1842年に南京条約を結ばされました。上海などの五港を開港、香港島を割譲、外国貿易を広州だけに限定し特許商人組合の公行のみが貿易を行うという管理貿易体制を廃止させられました。 産業革命で進化した圧倒的に強力な軍事力により、清は自由貿易国とさせられ、西洋資本主義世界に、しかも関税自主権もない不平等な状態で組み込まれることとなったのです。
やまとこたろう
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