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24−2.西欧列強によるアフリカ分割/植民地支配:イギリス/フランス/ドイツ

 

③イギリスのアフリカ進出

1875年のディズレーリ内閣によるスエズ運河会社買収以来、イギリスはアフリカ分割にもっとも積極的に関わった。19世紀末にはエジプトのウラービーの反乱、スーダンのマフディー教徒の反乱の鎮圧し、さらに南アフリカではケープ植民地政府がオランダ系白人入植者のブール人の国への侵略を進め、カイロとケープタウンを結ぶアフリカ縦断政策を掲げた。植民地拡大による国内矛盾の解決を掲げて帝国主義政策を展開し、1898年のフランスとのファショダ事件、99年から1902年の南アフリカ戦争を起こすこととなる。



④フランスのアフリカ進出

フランスは、1830年のアルジェリア出兵でアルジェリアを植民地化して以来、地中海の対岸の北アフリカへの進出を開始していたが、1880年代から帝国主義段階に入り、1881年のチュニジア占領、および保護国化、さらにサハラ、ジブチ、マダガスカルの獲得と進み、サハラとジブチを結ぶアフリカ横断政策をとるようになった。これらはイタリアとの対立、アフリカ縦断策を採るイギリスとの対立をもたらした。イギリスとはファショダ事件が起こったが、衝突を回避した後、モロッコへの侵出を策すようになり、1904年には英仏協商を締結して、イギリスのエジプトでの権益とフランスのモロッコ権益を相互に認める植民地分割協定を行った。


フランスはアフリカ内陸の広大な植民地を、フランス領赤道アフリカ(AEF)とフランス領西アフリカ(AOF)の二つの統治機構に分けて支配した。それぞれから独立した現在の国は次のものがある。

◯フランス領赤道アフリカ → コンゴ共和国、ガボン、中央アフリカ、チャド

◯フランス領西アフリカ → モーリタニア、セネガル、ギニア、コートジボアール、ベニン、マリ、ブルキナファソ、ニジェール



⑤ドイツのアフリカ進出

国家統一の遅れたドイツは、植民地獲得競争でも遅れ、1880年代に、ビルマルクがベルリン会議で列強のアフリカ分割を調停にあたるとともに、アフリカへの進出を始めた。1883年中部アフリカ西岸のアングラ・ペチュナを占領し、次いでトーゴランド、カメルーンに進出した。また、1886年イギリス・フランスとともにザンジバルなど東アフリカ分割に参加し、ドイツ領東アフリカ(現タンザニアなど)の広大な領土を得た。またベルリン会議では南西アフリカ(後のナミビア)を植民地として獲得した。


このようにビスマルクはイギリス・フランスとの協調的な駆け引きでの領土獲得を進めたが、1890年、彼を辞職させた後のヴィルヘルム2世は、イギリス・フランスとの武力衝突を辞さない強硬路線で植民地分割に乗り出した。彼はイギリスに対抗して3B政策を掲げるとともに、アフリカ方面では1905年に自らモロッコのタンジールに上陸、つづいて1911年にはアガディールに軍艦を派遣するという二次にわたるモロッコ事件を引き起こした。なお、ドイツの植民地支配に対してアフリカ原住民の抵抗は、1905~07年にかけて、東アフリカ植民地でマジマジ反乱に見られるように激しかった。


第1次世界大戦で敗北した結果、ヴェルサイユ条約でドイツの海外領土はすべて放棄することとなり、ドイツ領アフリカ植民地は次のように他の列強の手に移ることとなった。

◯トーゴランド・カメルーンはイギリスとフランスで分割。

◯東アフリカ(現在のタンザニア)はイギリスとベルギーで分割。ルワンダはベルギーの委任統治領となり、1990年代のルワンダ内戦の遠因となった。

◯南西アフリカ(現在のナミビア)は南アフリカ連邦の委任統治領とされた。


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