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17.十九世紀の日英関係


1808年 フェートン号事件。ナポレオン戦争中、英国船が長崎出島のオランダ商館を襲撃しました。幕府の対英警戒態勢の不備が明らかになりました。


1825年 江戸幕府は、英国軍艦を警戒し、あらゆる外国船を砲撃・追い返そうとして、異国船打払令を発布しました。その一方で、この頃から清に輸入された英国の物産が現地の商人によって日本に再輸出されたケースも確認されています。


1840年 アヘン戦争。英国(当時の世界の覇権国)が清に勝利し香港を獲得した事を知り、英国など列強の武力に対抗し難いことを知った幕府は、異国船打払令を撤廃しました。


1854年 クリミア戦争。英国海軍は、ロシア海軍の艦船を拿捕することを名目に、長崎に侵入し、日本の中立を侵犯しました。その結果、日英和親条約が調印されました。不平等条約


1858年 第二次アヘン戦争。英国が再び、日本の中立を侵犯し、日英修好通商条約が徳川幕府との間で調印されました。 関税自主権の制限や治外法権承認など、日本に不利な不平等条約が継続・強化されました。同年、長崎に日本初の公的な英語教育機関が設立されました。


1858年 英国女王が、木造蒸気船を幕府に贈呈しました。


1859年 初代駐日総領事により江戸高輪に英国総領事館が開設されました。


1859年 英国商会の代理人としてグラバーが長崎へ来日、以後幕末・明治の日本の政財界と深く関わりました。


1862年 生麦事件が発生。薩摩藩士により英国人が殺害され、その後も日本国内で英国人襲撃が相次ぎました。


1863年 長州五傑(井上聞多、伊藤俊輔など)が藩命として英国へ留学。薩英戦争、前年の生麦事件の報復として英国海軍が鹿児島を砲撃し、薩摩軍が反撃しました。この時の戦闘を通じ、英国側は薩摩側の能力を高く評価し、以後、英国と薩摩の関係は良くなっていきました。 


1864年 下関戦争。攘夷を唱える長州藩が関門海峡で外国船を砲撃し、報復で英国海軍が仏国海軍などと共に下関の砲台を占拠しました。帰国した井上と伊藤は開戦を止められず、事態収拾に奔走しました。


1868年 明治維新。英国公使は戊辰戦争で中立を保ち、幕府支援に傾く仏国を牽制して、実質的に明治新政府を支援しました。


1870年 大日本帝国海軍が創設されました。以後、英国海軍を模範とした組織整備を進めました。


1872年 岩倉使節団の英国訪問。不平等条約改正交渉には失敗しましたが、多くの知識を日本へ持ち帰りました。日本最初の鉄道が開業。建設には英国人技術者が深く関与しました。同年、英国の通信社が日本に初の支局を開設しました。


1873年 工部大学校を設立し、御雇い外国人として英国人が教授に就任しました。


1886年 ノルマントン号事件。英国籍船が沈没した際、英国人船長や船員が白人客だけとともに救命ボートで脱出し、日本人乗客25人が全員死亡。船員は英国の領事裁判により全員無罪、後に再審で船長のみが軽罪。日本側が憤激し、不平等条約の改正要求が強まりました。


1894年 日英通商航海条約が調印され、治外法権の撤廃で不平等条約が一部撤廃されました。


1896年 作家のラフカディオ・ハーンが、英国から日本へ帰化し、小泉八雲を名乗りました。


1899年 田中銀之助が、慶應義塾生にラグビーのルールを伝授し、日本にラグビーを初めて伝えた人物となりました。


1900年 夏目漱石が、文部省研究員としてロンドンへ留学しました(-1903年)。


1900年 義和団の乱勃発。北京籠城に際して英国北京駐在公使の下、駐在武官柴五郎中佐が事実上の指揮を取り、その働きが英国をはじめ関係各国で賞賛され、日英同盟締結の一つの遠因となりました。

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