西欧列強の狙いは、英国が維新側を、フランスが幕府をそれぞれ支援し、双方の全面衝突により国内が混乱したところで軍事介入し、日本を列強で分割し植民地化しようというような目算があったと思われます。
幕府側は、フランスの新鋭武器を有し軍事力で維新側より優位にありましたが、徳川慶喜は維新側との戦いを思いとどまり、幕府がお預かりしていた政治権力を朝廷にお返しすると英断し、王政復古が平和裏に実現しました。
さらに、旧体制(徳川幕府)の軍事中枢である江戸城が無血開城され、新体制(維新側)との全面軍事衝突が回避されました。英国では国王は処刑されましたが、将軍は処刑されることなく徳川家は現在まで続いています。
戊辰ボシン戦争で双方で使われた銃が、米国製であり、南北戦争の後、大量に在庫されていたものを、英国経由維新側へ、仏国経由幕府側へ売られたそうです。軍服も同様だったと言う人もいます。西欧による日本植民地支配は眼前に迫っていたようですね。
まあよくぞ、無血開城ができたものです。勝海舟(幕府)、西郷隆盛(維新側)、山岡鉄舟(調停者)の三人の人間力の大きさに敬意を表します。三人とも禅者だったようです。政治思想的には、徳川光圀が編纂した『大日本史』に端を発した皇室を尊崇する水戸学が底流をなしているようです(最後の将軍徳川慶喜は水戸藩当主)。
日本以外での政治革命は、激烈な権力闘争となり、イギリス革命、フランス革命、ロシア共産革命、中国共産革命もみな大量の血で血を洗うものでした。日本がそうならなかったのは、日本古来のシラス統治の精神が、日本人のDNAに脈々と引き継がれてきたからでしょうか、ありがたいことです。
幕府側の人材も維新政府で登用され各方面で活躍しました。オランダ製軍艦に乗り函館の五稜郭に立てこもり独立宣言を発出し最後まで維新軍と戦った幕臣榎本武揚エノモトタケアキラは(26歳でオランダ留学)は降伏後、海軍大臣、外務大臣などを歴任しました。
近代日本資本主義の父と言われる渋沢栄一も下級幕臣でした。大和の精神が脈々と生きているのですね。因みに維新側の主な人物も多くは下級藩士出身でした。そう朝廷の中心人物岩倉具視も下級公家でした。当時は、能力が高く志の高い若い人たちが大活躍できた社会だったようです。
維新政府の中心メンバーの大半が大挙して、欧米視察に長期間にわたりでかけ、先進文明との強大なギャップを肌身で感じ取ってきました(岩倉具視使節団)。国民国家と富国強兵が実現し、それが強さの源泉となっている欧米諸国の実情を学び、日本も一日でも早くキャッチアップする必要があると痛感しました。
特に、超大国であった英国から多くを学びました。紡績工場は英国製、鉄道(新橋ー横浜間)の車両も英国製、軍艦も英国製、英国の車左側通行制度採用などなど多岐にわたります。因みに21世紀になると、英国地下鉄に日本車両とシステムが採用され好評を得ているとのことです。隔世の感ですね。
欧米諸国では、国民が武器を取り命をかけて国家国民のために戦う仕組みが出来上がっており、そのベースに投票による民主主義制度とキリスト教という一神教の強烈な精神性の二本柱があると実感しました。欧米に追いつき、不平等条約を改正するため、日本に即した精神的フレームを創出する必要性が痛感されました。
政治については、似ているところが多い英国の立憲君主制度を参考にし、憲法については、英国に憲法がないので、ドイツの憲法を参考にすることになりました。日本になかった一神教をどうするか?という中から国家神道シントウなどが発想されました。
やまとこたろう
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