①シャカ国が、隣国と水源地を争って戦争が起きようとしていました。このことを知ったブッダは、急いでシャカ国に帰り、今や戦闘を始めようとしている両軍の真ん中に立ちました。ブッダの姿を見て、両軍は動揺しました。
ブッダは、「何故ここに集まったのか」と両軍の首領に質問しました。
首領は、それぞれ「戦うために集まった」と答えました。
で、ブッダは、「何事で戦うのか」となおもたずねました。
すると首領は、「農耕の水を確保するために」と答えました。
そこでブッダはさらにたずねます。「人の生命と比べて農耕の水はどれほどの値打ちがあるというのか。何故に農耕の水のために、この上ない価値を持つ人間の生命を奪おうとするのか。」
さらにブッダは、「人間はつまらぬ誤解のために争いを起こし互いに傷つけ殺し合うものであるから、正しく理解し合わねばならない。つまらぬ誤解がもとで万人が付和雷同して悲惨な最後を招くものであるから、注意しなければならない。」と説きました。
「かくして両国の人々は心から喜んで戦いをやめることができた。」と伝えられています。
②シャカ国が、大国マガダに攻め滅ぼされようとしていました。シャカ国の人たちはブッダに窮状を訴え、救国のために弓矢を取って戦うように哀願しました。かつて騎馬戦の勇者であったブッダは、ブッダに従って出家した多くのシャカ国の若者を率い、自ら弓矢を取り騎馬でマガダ国を攻め滅ぼすことをせず、こう言いました。
「恨みを抱く人たちの中で恨むことなく、安らかに生きよう。恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく暮らしていこう」。
「勝利からは恨みが起る。敗れた人は苦しんで終わる。勝敗を捨てて、安らぎを大切にした人は、安らかに終わる」。
ブッダは、予言されていた全インドを徳によって統一する転輪聖王の道を選ばず、生老病死に苦しむあらゆる人々を救う覚者の道を選ばれたのです。
③教団の分裂を企てた弟子がいました。その弟子は凶暴な象にブッダを踏み潰させようとしましたが、ブッダが象に優しく呼びかけると、象はブッダの前におとなしくひざまずきブッダに従いました。更にその弟子は、山の上から大岩を落とし、ブッダの足の指から出血させました。
しかし、ブッダはその弟子を許しました。弟子たちは「何故許されるのか」とたずねました。ブッダは「彼は前世で私の師匠でした。その師匠の指導のお陰で、私は今生で悟ることができたのです」と答え、彼に合掌しました。
④仏の言葉として遺されている『法句経』からです。
「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
相手を殺そうとあなたは思っているかもしれないけれども、相手もあなたと同じように殺されたくないと思っているんですよ。だから、その殺されたくないという思いを自分の身に引き比べて、相手を殺してもならないし、他の人にも殺させてもいけない。
⑤また、ブッダは、争ったり怨んだり悩んだり苦しんだりする人々に、
「勝利は怨みを生み、敗れては苦しく眠る。ただ勝敗を捨て去ってこそ、静けく楽しくも眠るであろう。逆に、他を殺せばおのれを殺すものを得、他を悩ませばおのれを悩ますものを得、かくて業の車は転がり転がって彼は掠めてはまた掠めとられる。」
「怨みによって怨みは止まず、ただ慈愛によってのみ止む。」
と『法句経』でこう説かれています。
やまとこたろう
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仏教の教えは世界を平和に導くことができる可能性を持っていると思いました。ふと浮かんだのはモンゴルのことです。モンゴルの主要な宗教は仏教かと思います。古から彼らは仏教を信仰していたのか。だとしたら、略奪を調達の手段としていた彼らは仏教の教えをどのように捉えていたのだろうか。そんな疑問が湧きました。
返信削除コメントありがとうございます。仏教は発祥の地インドでイスラムによって消滅させられましたが、東に伝わり日本にも伝わり、最近では欧米に浸透し始めています。日本人僧侶の活動もあり、先祖返りしてインドで最下層のカーストを中心に仏教徒が1億人にまで増えてきているという情報もあります。モンゴルはアニミズム信仰の所にチベット仏教が浸透し、モンゴル帝国は寛容な宗教政策を取り首都にはキリスト教イスラム教仏教外の寺院が有り信仰の自由がありました。戦争・統治等において多人種多民族を積極的に起用し、自由貿易経済を確保維持し、世界最大の帝国を構築することができました。帝国崩壊の最大の原因は、均等相続と最高位相続のルールが確立していなかったことと均等相続の伝統ためと考えられます。一方、チベット仏教は、北部アジア・中央アジア・シナ等に広く伝わり、モンゴル帝国とはウインウインの関係となったようです。その後、非武装であったため中共に簡単に侵略され、中華民族同化に激流呑み込まれてしまいました。ダライ・ラマ法皇はインド北部に亡命しましたが、釈迦族と同じようにチベット民族も消滅していくのでしょうか?
返信削除元々モンゴル帝国では、仏教は受け入れられている宗教の一つであり、現代のチベット仏教がメインのモンゴルとは違っていたのですね。モンゴル帝国は、宗教よりも、遊牧民であることが先であり、遊牧民であるからには常に移動し、移動先で不足するものを調達するには、略奪することが自然な考え方だったのでしょう。
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