前回に続いて十七条憲法の現代語訳です。
9.信(真心)が根本である:
信(真心)は人の行うべき道の根本である。何事にも信がなければいけない。善とか悪とか、成功とか失敗とかの成否は、すべて信のあるなしにかかっている。群臣にみな信があるなら、どんなことも達成できるであろう。しかし、群臣に信(真心)がなかったら、どんなこともみな失敗するであろう。
10.人の意見が自分と違っても怒ってはならない:
心の怒りをやめ、憤りの表情を棄て、人の意見が自分と違っても怒ってはならない。人はみなそれぞれ心があり、それぞれこだわるところがある。相手がこれこそと思っても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないと思う。
自分は必ずしも聖人ではなく、相手が必ずしも愚かというわけではない。皆ともに凡夫なのだ。これがよいとかよくないとか、どうやって決めることができよう。お互いに賢くもあり愚かでもあり、耳輪に端がないようなものである。それゆえ、相手が怒っていても、むしろ自分が過失を犯したのではないかと恐れなさい。自分独り正しいと思っても、人々に従ってともに行動しなさい。
11.功績と過失を判断し賞罰を明らかにすべきである:
官吏たちの功績や過失を判断し、賞罰を必ず行わなければならない。近頃は、褒賞は必ずしも功績によって行わず、懲罰は罪によって行わない。賞罰たずさわる群卿グンケイは、賞罰を適正、明確に行うべきである。
12.国に二人の君はなく、民に二人の主はない:
国司や国造は、天下万民から勝手に税を取ってはならない。国に二人の君はなく、民に二人の主はない。この国土のすべての民は、みな天皇を主としているのである。徴税の任にある官吏は、みな天皇の臣下なのである。どうして正規の徴税といっしょに、天下万民から私的に徴税することが許されるであろうか。
それぞれの官職に任じられた者は、その職務内容を熟知せよ。突然の病気や出張などで職務ができないことがあっても、職務に戻ったなら、従来のようにその職務に和していくようにせよ。そのようなことは聞いていないといって、公務を妨げるようなことがあってはならない。
◯私感:第十条は釈尊の言葉のようで、すごいですね。
自分は正しい、相手が間違っていると考えるのが人間の常です。相手もそう思っているので、争うことになります。このため、個人間、グループ間、民族間、国家間に争いが絶えないということになってしまうのです。いまだに戦争はなくなるどころか、第三次世界戦争の危機すら論じられはじめていますね。
「人の意見が自分と違っても怒ってはならない。人はみなそれぞれ心があり、それぞれこだわるところがある。相手がこれこそと思っても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないと思う。・・・皆ともに凡夫なのだ。」
人間性の奥底まで見通した聖徳太子の私たち現代人への強烈なメッセージではないでしょうか。
やまと こたろう
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「6.悪を懲コラらしめ、善を勧ススめること」と「10.人の意見が自分と違っても怒ってはならない」の両立が難しいのではないでしょうか。そのバランスが崩れると紛争に至るのではないかと思いました。
返信削除「12.国に二人の君はなく、民に二人の主はない」天皇をあるべき天皇たらしめる構造、システムがやはり気になります。またそれはきっと時代の変遷によって変わっていったことでしょう。そんなテーマに切り込んでいただけると、個人的にはうれしいです。
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