前回に続き、十七条憲法現代語訳第五条からです。
5.裁判は公平にすること:
富や美食をむさぼることをやめ、欲望を捨て、訴えを公明正大に裁きなさい。天
下万民の訴えは一日に千件もあろう。一日でもそうなのだから、年月を重ねたら
どんなに多いであろうか。だが、現状は、訴えを裁く者が、私利を得るのを当た
り前と思い、賄賂を見てから申し立てを聴くありさまだ。財力ある者の訴えは、
石を水中に投げ込むように必ず聞き届けられるが、貧しい者の訴えは、水を石に
投げ込むように、手ごたえもなくはねつけられてしまう。これでは貧しい者たち
は、どうしていいか分からない。このようなことは、臣の道に背くことである。
6.悪を懲コラらしめ、善を勧ススめること:
悪を懲らしめ、善をすすめるのは、古からの貴い教えである。それゆえ、人のよい行いは隠すことなく公にし、悪事を見たら必ず正さなければならない。諂ヘッラい媚コびる者は、国家をくつがえす恐ろしい武器となり、民を滅ぼす鋭い剣ともなる。またおもねり媚びる者は、上には好んで下の者の過失を告げ口し、下に向かっては上の者の過失を誹謗ヒボウするものである。このような人々はみな君に対しては忠義の心がなく、民に対しては仁愛の心がない。大きな乱れのもととなるのである。
7.その官職に適した人を任ずること: 人にはそれぞれの任務があり、それぞれの職掌を守り、その権限を乱用してはならない。賢明な者を官に任ずれば、たたえる声がおこるが、悪賢い者がその官を保つときは、政治の乱れが頻発する。世の中には、生まれながら物事をわきまえている者は少なく、努力してこそ聖人となる。事の大小にかかわらず、適任の人を得られれば必ずよく治まる。時代の動きに関係なく、賢人が治めれば、寛ユルやかな世になる。これによって、国は永久に安泰となる。だから。昔の聖王は、官職に適した人を求めたが、人のために新しい官職を設けたりはしなかった。
8.すべての官吏は、朝早く出仕し夕遅く退出すること:
すべての官吏は、朝は早く出仕し、夕は遅く退出するようにしなさい。公務は忙しいものである。一日かかっても、すべて終えることは難しい。このため朝遅れて出勤したのでは緊急の用に間に合わないし、早く退出したのでは必ず仕事を残してしまう。
◯私感:
第五条、なんと赤裸々ではないでしょうか。その後の西洋・シナにおける政治文書では、現実は隠された意図のために改ざんされ、綺麗事の理想が並べ立てられたものが多いようです。しかし、聖徳太子は、人間の赤裸々な現実を良いも悪いもあるがままに書き表し、克服すべき課題を明らかにし、万民が平和で豊かな社会を一緒につくろうと呼びかけられ、当時の人たちは賛同しそれに向かって何百年にもわたって努力を積み重ねていきました。なんと人間としてのスケールの大きい人たちではないでしょうか、私たちのご先祖さまたちは?
やまと こたろう
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8条以外は賛同できました。8条は現代にそぐわなくなっていると感じます。日本人の長時間労働を賛美する性質はここから続いていたのかもしれないと思いました。
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