聖徳太子によって604年につくられ、日本人の高い道徳性のベースとなった十七条憲法の現代語訳です。その後の日本人の精神史の底流を流れる思想であり、その人間観は現代日本人にも大いに響くところがあるものでしょう。一方、私たち現代日本人に耳の痛いこともあるようです。
1.和を以モッて貴トウトしとなす:
和を貴トウトびなさい。人をのろわないようにしなさい。人は誰でも群れをつくりたがり、理想的な人格者というのは少ないものである。それゆえ、とかく指導者や父に従わなかったり、近隣と争ったりするものである。しかし、上下が和睦し平等の立場でしっかりと話し合えば、理想と現実の調和がおのずから実現し、成就できないことはないであろう。
2.篤アツクく三宝サンポウを敬ウヤマえ:
篤く三宝を敬いなさい。三宝とは仏と仏法と僧侶のことである。仏教はあらゆる生きものが最終的に帰り着くるところであり、すべての国々が仰ぐ究極のよりどころである。どのような時代のどのような人でも、この仏法を尊ばないものがあろうか。まったくの悪人はまれであり、よく教え諭せば必ず仏法に帰依するようになるものである。仏法に帰依しないで、どうやって曲がった心を正すことができるであろうか。
3.詔ミコトノリを承けては必ず謹ツツしめ:
天皇の詔書を賜ったときは、必ず謹んでそれに従いなさい。天皇は天であり、臣は地である。天は地を覆い、地は天を戴き、それによって四季は規則正しく移りゆき、万物は通い合うのである。しかし、地が天(臣下が天皇)を覆おうとするなら、この秩序は破壊されてしまうだけである。だから、天皇の御言葉に臣下が従い、上の者が行えば下の者もこれにならうものである。したがって、天皇の詔書を賜ったときは、必ず謹んでそれに従いなさい。謹んで従わなければ、結局は国が滅んでいくことになるであろう。
4.官吏は、礼を基本とすること:
官吏は、いつも礼を基本としなければならない。民を治める根本は、必ず礼にある。上の者の行いが礼法にかなっていないときは、下の者の秩序は乱れ、下の者に礼法がなければ、必ず罪を犯す者が出てくる。だから、群臣に礼法がたもたれていれば、社会の秩序も乱れず、天下万民に礼があれば国全体として自然に治まるものである。
◯私感:第一条にある「人をのろわないようにしなさい」というのは、現代日本人にとって耳の痛いことですね。ネット社会のSNSでよくある「死ね!」が、これですね。聖徳太子から1400年以上たっても「人をのろう」ことがなくならず、却ってひどくなっているような現代日本人の現状に恥ずかしい気持ちがします。
「人は群れをつくりたがり・・・上下が和睦し平等の立場でしっかりと話し合えば、理想と現実の調和がおのずから実現し、成就できないことはないであろう」も耳が痛いです。私たちの国会では、階級闘争史観に凝り固まったかのような言説が、不毛な論議で国会を機能不全に落とし入れる時があるような感じがするのは私だけでしょうか。日本と世界の課題を解決するために、日本文明のポテンシャルが活かせる時だと思うのですが、
他にもいろいろ私たちへのメッセージがあるように感じられます。みなさんはどう感じられますか?
続く・・・
やまと こたろう
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十七条の憲法には、当時の理想が書かれており、裏返すとなかなかに難しいことが書かれていたのだろうと思いました。今も昔もあるべきも人間の弱さも変わらないのだと思いました。
返信削除そして、十七条の憲法は天皇にシラスの精神がないことには成り立たないもののように見えました。天皇をそうあり続けられたのか。だとすれば、どのような構造がそこにあったのか。